る外科病院の青年医を両親に見せることにした。かの女達は、むす子を頼んで置くその青年医を一夕《いっせき》、レストランへ招待した。かの女達は、魚料理で有名なレストランへ先に行っていた。むす子があとから連れて来た青年は、むす子より丈が三倍もありそうな、そして、髪も頬《ほお》も眼もいろ艶《つや》の好いラテン系の美丈夫だった。かの女はこんな出来上った美丈夫が、むす子の友達だなんて信じて好いのかと思った。むす子を片手で掴《つか》んで振り廻《まわ》しそうにも思えた。「なに、ぼんやりしてんの、お母さん。」むす子は美男子に見惚《みほ》れて居るような場合、何にも考慮に入れない母親の稚純性を知って居て、くすり[#「くすり」に傍点]と笑った。美青年も何かしら好意らしく笑った。美青年の笑顔は、まるで子供だった。そして彼女は安心した。柄こそ大きくても青年は医科大学を出たばかりで二十五歳の助手だった。そうは云っても二十歳ばかりの異国画学生のむす子が、よくこんなしっかりした青年を友人に獲得したものだと一向にだらしのないような自分のむす子のどこかにひそむ何かの伎倆《ぎりょう》がたのもしく思われた。かの女の小柄なむす子――細くて鋭い眼と眼とが離れ、ほそ面のしまった顔に立派過ぎる鼻と口、だが笑う眉《まゆ》がちょっぴり下ると親の身としては何かこの子に足らぬ性分があるのではないかと、不憫《ふびん》で可愛《かわ》ゆさが増すのだった。
よく語り、よく喰《た》べたが、食事をしながらの青年は決して人ずれがして居なかった。この青年の親達はどんな人か、どんな育ちかと、かの女は女性にありがちな通俗的な思案にふけって居るうちに、自分のむす子が赤子のとき、あんまりかの女達が若い親だったことを思い出した。若くもあり、性来子を育てる親らしい技巧を持ち合せて居ない自分達を親に持ったむす子の赤児の時のみじめさを想い出した。そういう自分達の、まして、まだ親らしい自覚も芽《め》ぐまないうちに親になって途方にくれて居るなかで、いつか成人して仕舞ったむす子の生命力の強さに驚かれる。感謝のような気持がその生命力に向って起る。だが、その生命力はまた子の成長後かの女の愛慾との応酬にあまり迫って執拗《しつよう》だ。かの女は、持って居たフォークの先で、何か執拗なものを追い払うような手つきをした。自分の命の傍に、いつも執拗に佇《たたず》んで居る複数の影のようなものを一瞬感じたとき、かの女の現実の眼のなかへいつものむす子の細い鋭い眼が飛び込んで来て、「なにぼんやりしてんの」と薄笑いした。青年もかの女を見て「ママン泣いて居る?」と薄笑いし乍らむす子に聞いた。
「あなたんとこの息子さんを、モンパルナスのキャフェでよく見かけますよ」と、薄い旅費で行脚的に世界一周を企て巴里まで来て、まだ虚勢とひがみを捨て切らない或る老教育家が、かの女等の親子批判にいどみ込んで来た。むす子が親の金でモンパルナスに出掛けて行ってるのを知らないのかという口調だった。かの女達はよく知っていた。知り過ぎていた。というよりも、夜にでもなったらモンパルナスのキャフェへでも出掛けて行き分相応愉快に過しなさいという気持で、一人置いて行く子のアパートを、モンパルナスからあまり遠くない地点に選んでやったくらいだ。巴里の味はモンパルナスのキャフェにあるとさえ云われて居るところをむす子から封じて、巴里へ置いて行く意義はない。
若くして親には別れ外《と》つ国の
雪降る街を歩むかあはれ。
一人巴里に置かれることが、むす子の願い、親の心柄であるとは云え、二十歳そこそこで親に別れ、ひと日暮れ果ててキャフェへさえ行かれない子にして置けるだろうか。かの女自身のむす子と別れて後の淋しい生活を想像して見ても、むす子が行く華やかなモンパルナスのキャフェの夜の時間を想《おも》うことが、むしろ、かの女の慰安でさえある。むす子は純芸術家だ、画家だ、なにも修身の先生にでもするのじゃなし……かの女にこういう考えもあった。
東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚《よ》りかかって、巴里《パリ》のモンパルナスのキャフェをまざまざと想い浮べることは、店の設備の上からも、客種の違いからも、随分無理な心理の働かせ方なのだが、かの女のロマン性にかかるとそれが易々と出来た。
ふだんから、かの女は地球上の土地を、自分の気持の親疎によって、実際の位置と違った地理に置き換えていた。つまり感情的にかの女独得の世界地図が出来ていた。その奇抜さ加減にときどき逸作も、かの女自身すら驚嘆することがあった。アメリカは、ほとんど沙漠の中の蛮地のように遠く思え、欧洲はすぐ神戸の先に在るように親しげな話し振りをかの女はした。だから、四年前一家を挙げて欧洲へ遊学に出掛ける朝も、一ばん気軽な気持で船に乗った
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