ねばならぬと考えた。かの女は、
「規矩男さんは、なかなかしっかりしていらっしゃいますね」と云って、あまり早く問題を提議したような流暢《りゅうちょう》でない気持がした。
 夫人は息子のことを云われて、何故かぎょっとしたようであった。はじめて正面にかの女を見た。
「そうでございましょうか。なにしろ父の死後女親一人で育てたものでございますから、万事行き届かぬ勝ちでございまして」
 夫人の整った美しい顔に憐《あわ》れみを乞《こ》うような縋《すが》りつき度《た》いような功利的な表情が浮んで、夫人の顔にはじめて生気を帯ばした。
 はじめからこの顔のどこが規矩男に似てるのだろうかと疑っていたかの女は、はじめて相似の点を発見した。それは規矩男が、一番平凡になって異性に物ねだりするときの顔付きであった。この相似を示す刹那《せつな》を通じて、規矩男の眼鼻立ちの切れ目に母親の美貌《びぼう》の鮮かさが伝っているのがはっきり観《み》て取れた。
 夫人は心安からぬ面持ちを続けながら、
「なにしろわざと大学へは入学をおくらせて、ただぶらぶら遊んで居りますし、ときどき突拍子もないことを云い出しますし、私一人の手に負えない子でして、奥さまのようなお偉い方とお近付きになりましたのを幸い、あれに意見して頂き、また今後の教育の方法に就《つ》いてもお伺いもして見たいとは思って居りましたのですが、あんまり無学なお訊《たず》ね方をするのも失礼でございますし」夫人は両袖《りょうそで》を前に掻《か》き合せた。
 かの女は夫人をあわれと思い乍《なが》ら頓《とみ》に失望を感じた。あれほどの複雑な魂を持つ青年の母としては、あまりに息子の何ものをも押えていない母。ただ卑屈で形式的な平安を望むつまらない母親である。なるほど規矩男が、かの女に母を逢《あ》わせることを躊躇《ちゅうちょ》したのも無理はないと、かの女は思った。
「そんなことごさいませんわ。むす子を持ちます母親同志としてなら、何誰とどんなお話でも出来ますわ」
 かの女はそう云って、相手に対する影響を見ているうちに微《かす》かな怒りさえこみ上げて来た。もしこの上、この母親に不甲斐《ふがい》ない様子を見続けるなら、
「ぐずぐずしているなら、あなたのあんないいむす子さん奪《と》っちまいますよ」と云ってやり度《た》い位だった。
 だか夫人は、かの女のそういう心の張りを外の方へ受けて行った。
「失礼ですけれど、あなたはそんなむす子さんがおありのようにお見受け出来ません。あんまりお若くて」
 かの女はこの際「若い」と云われることに甘暖かい嫌悪を感じた。
 今までの款待《もてなし》の上に女中がまたメロンを運んで来た。すると夫人は、またその方に心を向けてしまって、これは近所で自慢に作る人から貰ったとか、この片が種子が少いとか、選《よ》り取るのに好意を見せて勧めにかかった。
 そんなことにばかりくどくかかずらっている母親にかの女は落胆して、もうどうでもいいと思った。自分の息子が大事だ。人のむす子やその母親のことなど、心配する贅沢《ぜいたく》はいらないと思った。しかし規矩男のぶすぶす生燃えになっているような魂を考えると、その母をも、もう少し何とかしてやりたいと諦《あきら》め兼ねた。窓の外の木々の葉の囁《ささや》きを聴き乍《なが》ら、かの女は暫《しばら》く興醒《きょうざ》めた悲しい気持でいた。すると何処かで、「メー」と山羊《やぎ》が風を歓《よろこ》ぶように鳴いた。
 さっきから、かの女の瞳《ひとみ》を揶揄《やゆ》するように陽の反射の斑点《はんてん》が、マントルピースの上の肖像画の肩のあたりにきろきろして、かの女の視線をうるさがらしていた。窓外の一本太い竹煮草《たけにぐさ》の広葉に当った夕陽から来るものらしかった。かの女はそのきろきろする斑点を意固地《いこじ》に見据えて、ついでに肖像画の全貌《ぜんぼう》をも眺め取った。幸い陽の斑点は光度が薄かったので、肖像画の主人公の面影を見て取ることが出来た。金モールの大礼服をつけた額の高い、鼻が俊敏に秀でている禿齢の紳士であった。フランス髭《ひげ》を両顎《りょうあご》近くまで太く捻《ひね》っているが、規矩男の面立ちにそっくりだった。
 かの女はつと立ち上り、その大額面の下に立ってやや小腰をかがめ、
「これ、規矩男さんの、おとうさまでいらっしゃいましょうか」と云った。
 釣り込まれたようにかの女のそばへ寄って来て、思わず並んで額面を見上げた夫人は、無防禦《むぼうぎょ》な声で、
「はあ」と云ったが、次にはもう意志を蓄えている声で、「これはあんまりよく似ちゃおりません。少し老けております」
と云った。規矩男から彼の父親の晩年の老耄《ろうもう》さ加減を聞いて知っているかの女は、夫人が言訳しているなと思った。年齢に大差ある結
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