ゃなくって」
「古いのが好いだけです。いまにご案内します」
 そういって何故か規矩男は去勢したような笑い方をした。その笑い方はやや鼻にかかる笑い方で、凜々《りり》しい小ナポレオン式の面貌とはおよそ縁のない意気地のなさであった。
「規矩男さん、あなたを見ていると、時々、いつの時代の青年か判らないような時もあってよ」
 すると規矩男は、さっと暗い陰を額から頬《ほお》へ流し去って、それから急いでふだんの表情の顔に戻った。
「たぶんそうでしょう。自分でもそう感じる時がありますよ」規矩男は艶々《つやつや》した頬を掌で撫《な》でて、「僕はあなたのむす子さんとは違った母に育てられたんですから」
「と云うと?」
「僕の積極性は、母の育て方で三分の一はマイナスにされてますから」
 かの女はこの青年のこれだけ整った肉体の生理上にも、何か偏ったものがあるのではないかと考えてみた。これだけつき合った間に気がついただけでも、飯の菜、菓子の好みにも種類があった。酸味のある果物は喘《あえ》ぐように貪《むさぼ》り喰《く》った。道端に実っている青梅は、妊婦のように見逃がさず※[#「※」は「手へん+宛」、第3水準1−84−80、648−中−4]《も》いで噛《か》んだ。
「喰ものでも変っているのね、あなたは」
「酸っぱいものだけが、僕のマイナスの部分を刺戟《しげき》するロマンチックな味です」
 規矩男には散歩の場所にもかたよった好みがあった。
 規矩男は母の命令で食料品の買付けに、一週一度銀座へ出る以外には、余所《よそ》へ行かないといっているとおり、東京の何処のこともあまり知らない様子。武蔵野のことは委《くわ》しかったが、それにも限度があった。彼の家のある下馬沢を中心に、半径二三里ほど多少|歪《ゆが》みのある円に描いた範囲内の郊外だけだった。武蔵野といってもごく狭い部分だった。それから先へ踏み出すときは、
「僕には親しみが持てない土地です。引返しましょう」とぐんぐんかの女を導き戻した。
 そんな時、規矩男の母にもこういう消極的な我儘《わがまま》があるのかしら……などと、かの女はいくらかの反感を、まだ見ぬ規矩男の母に持ったこともあったが、かの女はここにもまた、幾分母の影響を持つ子の存在を見出して、規矩男もその母もあわれになった。それに規矩男の好みの狭い範囲には、まったく美しい部分があった。そしてかの女は規
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