の交った顔である。むす子が青年期に達した二三年来、一にも二にもむす子を通して世の中を眺めて来た母の顔である。かの女は、向側の窓硝子に映った自分の姿を見るのが嫌になって、寒そうに外套《がいとう》の襟を掻《か》き合せ、くるりと首を振り向けた。所在なさそうに、今度は背中が当っていた後側の窓硝子に、眼を近々とすり寄せて、車外を覗《のぞ》いてみる。
湖面を想像させる冷い硝子の発散気を透して、闇の遠くの正面に、ほの青く照り出された大きな官庁の建物がある。その建物の明るみから前へ逆に照り返されて威厳を帯びた銅像が、シルエットになって見える。銅像の検閲を受ける銃剣の参差《しんし》のように並木の梢《こずえ》が截《き》り込みこまかに、やはりシルエットになって見える。それはかの女が帰朝後間もない散歩の途中、東京で珍しく見つけたマロニエの木々である。日本へ帰って二タ月目に、小蝋燭《ころうそく》を積み立てたようなそのほの白い花を見つけて、かの女はどんなに歓《よろこ》んだことであろう。
巴里という都は、物憎い都である。嘆きや悲しみさえも小唄《こうた》にして、心の傷口を洗って呉れる。媚薬《びやく》の痺《しび》れにも似た中欧の青深い、初夏の晴れた空に、夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸《ほとばし》るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度|瞑《つむ》って、それから、ぱっと開いて、まじまじと葉の中の花を見詰めた。それから無言で、むす子に指して見せた。すると、むす子も、かの女のした通り、一度眼を瞑って、ぱっと開いて、その花を見入った。二人に身慄《みぶる》いの出るほど共通な感情が流れた。むす子は、太く徹《とお》った声でいった。
「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」
割栗石の路面の上を、アイスクリーム売りの車ががらがらと通って行った。
この言葉には、前物語があった。その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄《か》らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言《うわごと》のようにいって聞かした。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
その時口
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