あわれ[#「あわれ」に傍点]な心の状態だった。
所詮《しょせん》、かの女はむす子と離れて暮さねばならなかった。
うつし世の人の母なるわれにして
手に触《さや》る子の無きが悲しき。
むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から、たしない小遣いの中で買ったかの女への送別品のハンケチを、汽車の窓に泣き伏しているかの女の手へ持ち添えて、顔も上げ得ず男泣きに泣いていた姿を想《おも》い出すと、彼女は絶望的になって、女ながらも、誰かと決闘したいような怒りを覚える。
だが、その恨みの相手が結局誰だか判らないので、口惜しさに今度は身体が痺《しび》れて来る。
バスは早瀬を下って、流れへ浮み出た船のように、勢を緩めながら賑《にぎ》やかで平らな道筋を滑って行く。窓硝子《まどガラス》から間近い両側の商店街の強い燭光を射込まれるので、車室の中の灯りは急にねぼけて見える。その白濁した光線の中をよろめきながら、Mの学生の三四人は訣《わか》れて車を降り、あとの二人だけは、ちょうどあいたかの女の前の席を覘《うかが》って、遠方の席から座を移して来た。かの女は学生たちをよく見ることが出来た。
一人は鼻の大きな色の白い、新派の女形にあるような顔をしていた。もう一人は、いくら叩《たた》いても決して本音を吐かぬような、しゃくれた強情な顔をしていた。
どっちとも、上質の洋服地の制服を着、靴を光らして、身だしなみはよかった。いい家の子に違いない。けれども、眼の色にはあまり幸福らしい光は閃《ひらめ》いていなかった。自我の強い親の監督の下に、いのちが芽立ち損じたこどもによくある、臆病《おくびょう》でチロチロした瞳《ひとみ》の動き方をしていた。かの女は巴里で聞かされたピサロの子供の話を思い出した。
かの女がむす子と一緒に巴里で暮していたときのことである。かの女はセーヌ河に近いある日本人の家のサロンで、永く巴里で自活しているという日本人の一青年に出遇《であ》った。
「僕あ、ピサロの子を知っています。二十歳だが親はもう働かせながら勉強さしています」
青年が何気ない座談で聞かせて呉《く》れたその言葉は、かの女に、自分がむす子に貢いで勉強さしとくことが、何かふしだら[#「ふしだら」に傍点]ででもあるような危惧《きぐ》の念を抱かした。
しかしかの女はずっとかの女の内心で
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