》………。皆んな聴き分けてよ。
モントリシヤは紀元十一世紀頃に既にフランス第一の都として有名だったそうです。シーザーが攻めて来たそうです。又一時英領になったこともあるそうです。今でも其の当時からの古い城が此の町の守護神のように岩山から町全体を見守って居ります。此の城の地下道はロアール河の支流の河底を深く潜って二里も先きの城に連がって居ります。而かも其の河に架かる石橋もローマ時代から色々修理して来たもので其の橋一つにも可なり永い間の歴史が刻まれて居ります。ツール市からモントリシヤへかけて沢山の城や宮殿が建って居ります。殊にルイ王朝時代の繁栄の跡として立派な宮殿や道路が出来て居ります。町の呉服屋、家具屋などにも矢張《やは》りローマ時代のものがあり国家で保護されて居ります。だから此の地方へ毎年観光客がやって来て、落す金が八億フランにのぼるそうです。此の地方の人々はとてもそれが自慢で殊にルイ王様のお蔭で立派なものが出来た、お城も宮殿も橋も道路も偉大な事物は封建時代の王様や英雄達に依って出来たと、英雄主義を奉じて居ります。
イボギンヌの叔父夫婦の家は町から少し離れた東の方の村に在ります。私は此所へ来て色々の原始的生活のようなものを見聞するわ。此所では住民は一つの共同の井戸を中心に五・六軒から十二軒ずつ集まって部落を形成して居ります。井戸の大きい程、金持の家が多く、金持程多数(と言っても三四人)の子供を養育して居ます。彼等は葡萄を栽培して葡萄酒を造るのと小麦と牧畜で自給自足するばかりか多量の葡萄酒と小麦をフランス国中へ売りさばくのです。其の利益金の三割は必ず金貨にして床下に埋めて在る甕《かめ》の中に貯えて置きます。此所の田舎《いなか》の人々はフランス人の文明的仮面をひっぱがした赤裸々の姿を見せて呉れて面白いわ。村人は誰でも「自分は偉い人間だ、自分の妻はどういう所が世界一だ、自分の作る物は一番よい、自分の村は世界一(魅惑的)だ、ひいてフランスは世界の楽園だ、自分等は世界一の幸福者だ、唯一つの不幸は、不平は我々の国が世界一の楽園である為め、世界中から狙《ねら》われて居る事だ。●
だから稼いだお金の大部分は軍備に差し上げて仕舞わねばならぬ、世界全部が相手ですからね。見なさいフランスの陸軍は世界第一ですよ。空軍の為めには全世界に匹敵《ひってき》する程の費用を費して居ますよ。海軍だって仲々強いものですよ」と大自慢をします。だが私共だって英国に就《つ》いて大自慢ですね。此所の女達に政治の事を話しかけると「そんな汚ない、つまらない仕事はドイツかアメリカの馬鹿な女達に任せて置けばよい、我々女達にはもっと女としての立派な仕事がある、御覧なさい、どんな偉い大政治家でも私が一つ微笑して給仕すれば一遍でシャルムされて仕舞いますわ」と大真面目で語るのですよ。ママ一面の真理があると思うの?
アア書き落した一大事があるのよ。其れは此の世界一の楽園に水が欠乏して居る事よ。一杯の水を飲もうとしても数百年前に出来た古い井戸の滑車を五分間も廻さなければ汲み出せないの然《し》かも濁った水よ。駅や小学校の控室には飲用水の代りに葡萄酒が備えてあるの。農夫は野良仕事に葡萄酒を壜《びん》に詰めてぶら下げて行きます。煮炊きするのに水の代りに葡萄酒を使うのよ、それで贅沢じゃないことよ。どの家にも大きな酒樽が五六十個も一杯になって居るわ。イボギンヌは平気で此の酒を飲むのよ、私も少し飲まされるの、でもちっとも悪酔いもしなければ頭痛みもしないのよ、感心したわ。でも紅茶を飲みつけた私はお茶の代りに葡萄酒を呑まされるのに閉口してよ。
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六月十五日 第四信(モントリシヤにて)
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ママ、昨日は大変な事があったの。お午《ひる》過ぎ二時頃イボギンヌの叔母様が大きな眼を開いて、息を切って呼びに来たの。私達は御弁当を用意して半里許り離れた溝へざり[#「ざり」に傍点]蟹《がに》釣りに来て居たの。十五六匹程捕れたのを焼いておかずにして食事をした後で周りの芝生の上に横になって空気の澄み切って随分遠くまで見透せる印象派の絵其の儘の景色をボンヤリ眺めて居た私共は、叔母様の叫び声に近い言葉に跳ね起きました。大砲を打つと言うのです。黒い雹《ひょう》を降らせる密雲が北の方からやって来ると言うのです。私は一寸《ちょっと》軽蔑したいような気持になりましたが振り向いて指示された空を見た時、北の方に怪物のような大雲を見て何だか威喝されたように不安に胸がおどりました。イボギンヌは経験がある者の如く、うなずいて走り出しました。私も後から只《ただ》夢中でついて走りました。家の周りの花園や畑や牧場や、其等《それら》を取り巻く野鳥野獣を棲息させて猟をする雑木林の中の小路を突き貫《ぬ》けて七・八丁も
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