字下げ]
――およしってば、連れがあるんだよ。」
[#ここで字下げ終わり]
 流石に人中を憚《はばか》ってジャネットは羽がいじめの下でわめいた。――わめき乍らジャネットが新吉の方へ救いを求めるように手を出したので、その方向を辿って男は新吉を見つけると、
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――青二才だな。」
[#ここで字下げ終わり]
 そう言って女を離した。それから新吉の傍まで来るとちょいと顔を覗いて、
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――おまえ西班牙人《スパニッシュ》か、しっぽりとやんな。」
[#ここで字下げ終わり]
 巌丈な手で新吉の肩を痛いほど叩いて彼は行き過ぎた。中年過ぎた鬚《ひげ》の削《そ》りあとが青い男で、頬や眉の附根に脂肪の寄りがあり、瘤《こぶ》の寄ったような人相だが、どこか粋《いき》でどっぷりと湛《たた》えた愛嬌があった。新吉はわれを忘れて見送った。あれ程の年をしながら青年のように女に対して興味が充実してる男が羨《うらや》ましかった。新吉のようにもう夢のほか感情の歯の力を失ったものは彼のような男にすれ違っただけで自分の青白い寂寥《せきりょう》が感じられた。
 ジャネットはと見ると人混みに紛《まぎ》れ行く男の姿をいつまでも見送りながら群集に押されて新吉のそばまで来た。
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――あたし今日、モンマルトル一のジゴロに声をかけられたのよ。」
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 そう言って彼女はやっぱり人に押されながら鏡を取り出して自分の風姿を調べた。
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――あんたさえ居なかったら今日一日、あの人に遊ばせて貰えたかも知れなかったわよ。」
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 彼女の声には真実少し卑しい恨みがましい調子があった。すると彼女から遊離して居た新吉に急に反撥心が出て来た。彼は手荒くジャネットの露出《むきだ》しの腕を握って二三度|揺《ゆす》ぶった。
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――あたしと仲好くするんだ。またと他の男に振り向きでもすると承知しないよ。」
[#ここで字下げ終わり]
 すると不思議にジャネットは素直になり手に風船玉を持ち乍ら新吉の腕に抱えられにっこり彼の顔を見上げて笑った。
 其所へ一人で行き過ぎて、はぐれてしまったベッシェール夫人が
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