が》ら行って仕舞った。
 明日の祭の用意に新吉も人並に表通りの窓枠へ支那提灯を釣り下げたり、飾紐《かざりひも》で綾《あや》を取ったりしていると、下の鋪石からベッシェール夫人が呼んだ。
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――結構。結構。巴里祭万歳。」
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 新吉は手を挙げて挨拶する。
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――あなたのところに綺麗な国旗ありまして。若しなければ――。」
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 そう言いさして夫人は門の中へ消えたが、やがて階段を上って来て部屋の戸をノックする。
 新吉が開けてやると、しとやかに入って来て、
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――剰《あま》ったのがありますから貸してあげますよ。」
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 それから屈托《くったく》そうに体をよじって椅子にかけて八角テーブルの上に片肘つきながら、新吉の作った店頭装飾の下絵の銅版刷りをまさぐる。壁の嵌《は》め込み棚の中の和蘭皿の渋い釉薬《うわぐすり》を見る。箔押《はくお》しの芭蕉布のカーテンを見る。だが瞳を移すその途中に、きっと、窓に身をかゞまして覚束なく働いている新吉の様子を油断なく覗っている。何か親密な話を切り出す機会を捉えようとじれているらしい。新吉はどたんと窓から飛下りて掌に握ったじゅう/\いう鳴声を夫人の鼻先に差出した。
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――小さい雀の子。」
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 夫人は邪魔ものゝように三角の口を開けた子雀の毛の一つまみを握り取って煙草の吸殻入れの壺の中へ投げ込んでしまった。無雑作に銅版刷で蓋をする。
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――おちついて、あなた、そこに暫らく坐って下さらない。」
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 新吉はちょっと左肩をよじって不平の表情をしてみたが名優サッシャ・ギトリーの早口なオペレットの台詞《せりふ》を真似て、
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――マダムの言いつけとあらば、なんのいなやを申しましょうや。茨の椅子へなりと。」
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 と言ってきょとんと其所へ坐った。
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――いよ/\明日巴里祭だというので、いやにはしゃいでいらっしゃるね。さぞお楽しみで
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