。ざまをみるがいゝ。滑稽だ。残忍な粋人の感情だ。妻に侮辱と嘲笑とに価する特色を発見出来るようになって始めて惻々《そくそく》たる憐れみと愛とが蘇るというのだ。淋しくしみ/″\と妻を抱きしめる気持になれたのだ。何たる没情。何たる偏奇。新らしい陶器《やきもの》を買っても、それを壊《こわ》して継目《つぎめ》を合せて、そこに金のとめ鎹《かすがい》が百足《むかで》の足のように並んで光らねば、その陶器《やきもの》が自分の所有になった気がしないといったあの猶太《ユダヤ》人の蒐集家サムエルと同じものを新吉は自分に発見して怖《おそろ》しくなった。あのとろんとして眼窩の中で釣がゆるんだらしく、いびつにぴょく/\動いている大きな凸眼、色素の薄くなった空色の瞳は黄ろい白眼に流れ散ってその上に幾条も糸蚯蚓《いとみみず》のような血管が浮き出ている。あのサムエルの眼はやがて自分の眼であるに違いない。
 部屋の中の家具に塗ってあるニスが濡れ色になって来て、銀色の金具は冷たく曇った。もうたそがれだ。新吉はいつもの生理的な不安な気持ちに襲われ胃嚢《いぶくろ》を圧《おさ》えながら寝椅子から下りた。早くアッペリチーフを飲みたいものだ。八角テーブルの上に置いてある唇草《くちびるそう》の花が気になって新吉はその厚い花弁を指で挟んではテーブルの周囲を揃わない歩調でぶら/\歩いた。窓から見える塀の金鎖草の蔓の一むらの茂みが初夏の夕暮の空に蓬髪のように乱れ、その暗い陰の隙から、さっき茶を呑んだ隣のベッシェール夫人の庭の黄ろい草が下方に小さく覗かれる。あれから夫人はまた多少のヒステリーを起し、いつもよくやるようにピカ/\光る裁縫|鋏《ばさみ》の冷たい腹を頬に当てゝ、昔|訣《わか》れた幾人もの夫の面影を胸の中に取出し、愛憎|交々《こもごも》の追憶を調べ直しているのではあるまいか。夫人の最後の夫ジョルジュには夫人はまだ未練があるようだ。そのせいかジョルジュの話をするときに夫人は一番新吉に粘《ねば》りつく。
 新吉は窓に近く寄ってみた。雲一つなく暮れて行く空を刺していた黒い鉄骨のエッフェル塔は余りににべも無い。新吉はくるりと向き直って部屋の中を見た。友達のフェルナンドが設計して呉れたモダニズムの室内装飾具は素っ気ないマホガニーの荒削りの木地と白真鍮の鋭い角が漂う闇に知らん顔をして冷淡そのものを見るようだ。フェルナンドは若くて
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