吉とのはなしを困惑と好奇心で顔を赧《あか》らめながら聴いていたカテリイヌは父の振り向いた顔に強いられて少し浮腰のまゝ、気まり悪るげに左肩へ首をすぼめて、一たん逃腰になったが、父親ののがさない命令に急激な決心を極めた。彼女は一足跳ねたダンス足の左の靴の踵に、床を滑って右の踵が追い迫り、あなやと思う間にひらりと新吉の膝の上に彼女は乗っかった。新吉は柔いものゝ無限の重量を感じ、体は華やかな圧迫で却《かえ》って板のように硬直して了った。
彼女は困惑から泌み出る自然の唐突さで言った。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
――日本の娘さんは悲しそうに男の方にお逢いなさるそうですね。」
[#ここで字下げ終わり]
こういう場合に同席する西洋人等の態度も新吉には珍らしかった。そこにはルーマニアの男とカナダの男との他に五人の若いフランス人が居たが彼等は揃って、さも好もしいものを見るという幸福な顔をして二人の組合せ像を眺めた。
その夜新吉の膝に加えられたカテリイヌの柔い重圧が新吉のメランコリーに深く泌み込んで仕舞ったのを新吉はいまいましく思いながら、まぼろしのようにその夜教授の部屋の窓から眺めた月光を含む靄の中からサンミッシェル街の灯影を思い泛《うか》べて、秋の深まり行く巴里の巷《ちまた》を幸福と懊悩《おうのう》に乱れ乍《なが》らさまよい歩いた。斯《こ》うしてカテリイヌと二度会う機会を待っているうちに新吉は思いがけなく遊び女のリサと逢って仕舞った。
新吉は寝椅子の上でおみち[#「おみち」に傍点]の手紙を状袋にしまった。それから手を伸して貴金属商アンドレの店頭装飾写真の入っている額椽《がくぶち》のうしろへ挟んだ。十年以上も無視していたおみち[#「おみち」に傍点]が急に蘇って来たのはどうしたわけだろうか。たった二三行の手紙の文句で日本へ帰る思いが燃え立ったのはどうしたわけだろうか。おみち[#「おみち」に傍点]のあのおさな顔が其のまゝでちらほら白髪が額にほつれて来た。此の報告が巴里の生活で情感を磨《みが》き減らして無感覚のまゝ冴え返っている新吉の心に可なりのさびしみを呼び起した。おみちがたゞ年老いて行くことだけでは憐れとも思わない。あの眼も口も篦《へら》で一すくいずつ平たい丸みから土をすくっただけで出来上っている永遠に滑らかな人形のような顔。それに時が爪をかけはじめたのだ
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