で今や一《ひと》かどのことをやり出した。勿体《もったい》ない、私のような者の子によくもそんな男の子が……と言えば「あなたの肉体ではない、あなたの徹《てっ》した母性愛が生んだのです」と人々もお前も、なおなお勿体ないことを言って呉《く》れる。
私たちの一家は、親子三人芸術に関係している。都合《つごう》のいいこともあれば都合の悪いこともある。しかし今更《いまさら》このことを喜憂《きゆう》しても始まらない。本能的なものが運命をそう招いたと思うより仕方《しかた》がない。だが、すでにこの道に入った以上、左顧右眄《さこうべん》すべきではない。殉《じゅん》ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまでやりましょう。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。だが殉ずるところに刻々《こっこく》の発見がある。本格の芸術の使命は実に「生」を学び、「人間」を開顕《かいけん》して、新しき「いのち」を創造するところに在《あ》る。斯《かか》るときに於《おい》てはじめて芸術は人類に必需《ひつじゅ》で、自他《じた》共に恵沢《けいたく》を与えられる仁術《じんじゅつ》となる。一時の人気や枝葉《しよう》の美に
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