を寄越さなければならないほどの感情にあふれた走《はし》り書《がき》を私が郵送するのも多くそういうときである。だが、おまえが何といおうとも、私はこれからもおまえにああいう手紙を書き送る。何故《なぜ》ならば、それを止《や》めることは私にとって生理的にも悪い。
 おまえは、健康で、着々《ちゃくちゃく》、画業《がぎょう》を進捗《しんちょく》していることは、そっちからの新聞雑誌で見るばかりでなく、この間来たクルト・セリグマン氏の口からも、または横光|利一《りいち》さんの旅行文、読売の巴里《パリ》特派員松尾|邦之助《くにのすけ》氏の日本の美術雑誌通信でも親《した》しく見聞きして嬉《うれ》しい。健気《けなげ》なむす子よと言い送り度《た》い。年少で親を離れ異国の都で、よくも路《みち》を尋《たず》ね、向きを探って正しくも辿《たど》り行くものである。辛《つら》いこともあったろう。辱《はずか》しめも忍《しの》ばねばならなかったろう。一《いっ》たい、おまえは私に似て情熱家肌の純情屋さんなのに、よくも、そこを矯《た》め堪《こら》えて、現実に生きる歩調に性情を鍛《きた》え直そうとした。
「おかあさん、感情家だけで
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