な事情があるにせよ、やっぱり酷い男なのではないかと思いはしたが、そのときの私には人の身の上を深く批判している余裕もなく、一途《いちず》に感情的な気持ちになって、それが自分達の身の上にふりかかっているせつなさと入り交って仕舞いました。珪次だとて、自分を嫌ってつれなくするのでなく、つまりは仕方なくなってこうもしているのだということが判っているものですから、ふと及川の妻の行為を知ってから、それに示唆されるような具合いに、むしろあしたでも帰って来たら、最初家出のときの覚悟の実行を珪次に勧めてみようかと思い定めて寝ました。
そして、あくる朝、再びその新聞を見ると、八百屋が買物の蒟蒻《こんにゃく》を包んで呉れた古新聞で、日附は一年半ほども前の出来事です。私は何だか気が脱けてしまって、なんだと思っているところへ、ひょっこり帰って来た珪次の顔を見ると、生れつき何の屈托も取付けそうにない爽《さわやか》な青年なのを、私ゆえのために、こうもしょんぼりさせているのかと思うと、いじらしいような楽しみのような気持ちが起りまして、
「こらっ、いけずやさん、なぜ帰ったの」と笑いながら責めてやりました。すると珪次は案外に立ち勝った私の迎え方に有頂天になって、私の肩を抱えて、「御免、ね」と子供のように謝《あやま》りました。私は何とも知れぬ涙がはらはらと零《こぼ》れて、花のようなこの青年を決して私のために散らすまい。もし、そういう羽目にもなれば、自分一人だけの所決にしようと決心しました。
その日は私の持ちものの最後を洗い浚《ざら》い持たせてやって、金に代えさせ、珪次を存分に御馳走してやりました。
また二日ばかり経った珪次の留守の日のこと、私は小さい土鍋で、残った蒟蒻をくつくつ煮ていました。一寸《ちょっと》書き添えたいのですが、私はどういうものか子供の時から、あの捉えどころのないような味と風体《ふうてい》で人を焦《じ》らすような蒟蒻が大好物でした。私は鉛のような憂鬱に閉されて、湯玉で蒟蒻の切れの躍るのが、土鍋の中から嘲笑《あざわら》うように感じられるので、吹き上げるのも構わず、蓋《ふた》でぐっと圧《おさ》えていました。何も食べるものの無くなった今、蒟蒻は貴重な糧食であるばかりでなく、私はどうせ餓死するなら蒟蒻ばかり食べて死のうと、こんないこじな気持ちを募らせていました。丁度その時です。
「お嬢さん
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