晩春
岡本かの子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)樺太《からふと》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)たも[#「たも」に傍点]
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鈴子は、ひとり、帳場に坐って、ぼんやり表通りを眺めていた。晩春の午後の温かさが、まるで湯の中にでも浸っているように体の存在意識を忘却させて魂だけが宙に浮いているように頼り無く感じさせた。その頼り無さの感じが段々強くなると鈴子の胸を気持ち悪く圧え付けて来るので、彼女はわれ知らずふらふらと立ち上って裏の堀の縁へ降りて行った。
材木堀が家を南横から東後へと取巻いて、東北地方や樺太《からふと》あたりから運ばれて来た木材をぎっしり浮べている。鈴子は、しゃがんで堀の縁と木材との間に在る隙間を見付けて、堀の底をじっと覗《のぞ》くのであった。
彼女は、七八歳の子供の頃、店の小僧に手伝って貰って、たも[#「たも」に傍点]を持ってよく金魚や鮒《ふな》をすくって楽しんだ往時を想い廻《めぐら》した。その後、すっかり、振り向きもしなくなったこの堀が、女学校を卒業して暫くするとまた、急に懐《なつか》しくなって堀の縁
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