る。
 どこかに火事でもありそうな不安なにおい。
 もちろん、それは湯屋の煙突の煙りのにおいだが、米屋の角を出て広い市の電車通りに出ても日本の都特有の不安な気持ちはあの煙のにおいと一脈の連絡を持っているように考えられる。不安な気持ちが揺り動かす日本の都会の若さと溌剌《はつらつ》さ。挨《ほこり》だらけの円タクが加奈子を突倒しでもするように乗りつけて来てブレーキをかけても異様な音と共に一二|寸《すん》乾いた土の上を滑る。
――いかが? どちらまで?」という性急な若者の言葉と、
――否《ノン》、ムッシュウ」と言い馴れた西洋の言葉を出して仕舞って顔を赭《あか》くした加奈子の言葉とが正面衝突をする。
 加奈子とこの円タクとの交渉がまとまらなかったらと、その後に二台、電車線路を越した向うに一台、形の違った円タクが客を奪《と》ろうと隙をねらっている。
 加奈子はショールの下に隠していた提げ菓子皿を持上げて、振って円タクのみんなに「いらない」合図をする、四台の車の窓から四つの鋭い眼が引込んで道路は再び無慈悲な爆音に蹴立てられる。
 この提げ菓子皿の取手《とって》は伊太利《イタリー》フローレンスで買った
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