き》の並木があり、その先は折れ曲っているので玄関はどのくらい先にあるか判らない金持の邸の並木の欅五六本目のところでカーキ色の古ズボンを穿いた老人が乾した椎茸《しいたけ》を裏返している。こんな町中で椎茸が栽培出来るのか。
金持の邸の玄関道が妙に曲っているのでそのカーヴの線と表通りの直線とに挟まれて三日月形になった空地がある。信託会社の分譲地の柱が立っている。ふさがっているのは表通りの右端の二区切りだけで、あとは古障子やら藁《わら》やら一ぱい散らかったまま空いている。それ等を踏んで子供が野球をやっている。空地を覘《うかが》うのは何国の子供も同じだ。ある夏ロンドンで珍らしい暑い日があった。兜帽《かぶとぼう》を冠った消防夫に列んで子供が頭から水管の水をかけて貰っていたのはやっぱり斯ういう建壊しのあとの空地だった。犬のお産を子供等に見せないように天幕張りをしてしまって居たのもロンドンの空地だった。
仲が好さそうにもあり、張り合ってるようにも見える二区切りの土地の上の洋館のけばけばしい安普請の一方には歯科医、一方にはダンス練習所の真鍮札がかかっている。お京さんはよく迷う女だ、斯ういう軒並を見せたら歯を癒《なお》して貰いに歯医者へ寄ってから練習所へ行こうかダンスの練習をすましてから歯医者にしようか。まじめになってわたしに相談するだろうと加奈子は思った。
また塀だ。今度のは灰色のセメントで築いてあり上に横に鼠色の筋を取ったものだ。灰色の面には雲のように白い斑《まだら》が出来ていて乾性の皮膚病のようにいかにも痒《かゆ》そうだ。人の影がぞろぞろつながって映って行く。加奈子にぶつかる男もある。気がつくと坂の下の交叉点で電車を降りて乗替えずにそのまま歩いて坂を上って来る人が沢山増した。午後四時過ぎ、東京という人口過多の都会の心臓はその血を休養の為めに四肢へ分散するのか。でなければこの都会の内臓は充血して化膿するだろう。
人の流れに逆らって歩るくちょっとした非興奮音楽的の行進曲。擦れ違うさまざまなヴォルトの人体電気。埃と髪油のにおい。――加奈子は午後四時過ぎが何故か懐かしい。巴里では凱旋門の方からシャンゼリゼーの右側の歩道を通って料理店ブーケの前を通って公園の方へ行こうとすると屹度《きっと》こういう思いをした。ハンチングをかぶったアパッシュ風の男がズボンのポケットで歩るきながら銭をじゃらじゃらいわせる音。急に斜に外れて巴里昼間新聞を買う人の起すかすかな空気のうずまき。首尾よく流れを逆に上り切って桃色と白のカフェ・ローポアンで一休み。そこで喰べた胡桃《くるみ》の飴菓子。
だが日本の通行人は急ぐように見えてもテンポは遅い。それでいて激しい感じは一層する。二つずつ向って来る黒い瞳。奥底の知れぬ怜悧《れいり》。カラーとネクタイが無くて襟の合せ目からシャツと胸の肉の覗く和服姿。男が女のように見えるインバネス。無言の二人連れ。アメリカ風の女の洋装。
加奈子のあとをつけて来た少年は流れの勢に押し流されもう見えなくなった。その代りにもっと小さい十三四の中学生が気付かれないように手に握ったボールを見つめているふりをしながら溝端の石の上を加奈子と並んで歩いて来る。ちょいちょい加奈子を横目でみるところはやっぱり加奈子をつけて来るのだ。
加奈子はショールの間から短い指の手を出して拡げて裏表を見せてやる。すると顔を赭くして急に駆け出した。
お京さんが夫のアンリーのところを逃げ出す前にお京さんは加奈子にこういったことがあった。
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――異人さんと一緒にいると始終用心してなきゃならないのよ。いつ唇が飛びかかって来るか知れないから。
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異人さんと一緒にいると我儘《わがまま》をいうのも時間制度よ。
アンリーはあたしを燃やし尽そうとする。菜種油で自動車を動かそうとする。
触って呉れずに愛して呉れたらねえ。
まわりの静まった夜なんか二人差し向いで居てふいと気がつくと、おや大変異人さんと一緒にいる。と逃げ出したくなることがあるのよ。
あなた異人さんのしょげたところ見た? まるで子供よ。
異人さんの不器用な大股で日本の家の鴨居《かもい》に頭をぶつけないように歩るく不器用さは初めはほんとに愛嬌があるけれど見慣れて嫌になり出すととても堪らないものよ。
異人さんはやきもちやきよ。
あの人、海苔《のり》を食べるのを稽古し出したのよ。
異人さんの愛情というものはくどいからすぐ腹が一ぱいになるけれども永持ちしないの。だからしょっちゅうちょいちょい食べなきゃならない。
この頃はお豆腐を食べても舌で味い分けられなくなったわ。始終|脂《あぶら》っこいもののお相伴《しょうばん》をするせいよ。
それでいてお豆腐の味
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