子の眼は刺激されて溝と眼との幅、一メートル八インチ[#「インチ」に「(ママ)」の注記]半程の日本ではじめての「距離」を感じる。
加奈子はようやく距離を感じ出した眼をあげて前町をみると両側の屋並が低くて末の方は空の裾にもぐり込もうとしている。町の何もかにもが低い。
周囲の高い西洋の町であれ程背低だった加奈子が今|茲《ここ》ではひどく背高のっぽになった気持だ。おまけに靴の尖まで陽が当る。踊の組子なら影の垣に引っ込《こま》されてスターにだけ浴せかけられる取って置きの金色照明を浴びたようで何だか恥かしい――わたしは威張って見えやしないだろうか。
加奈子はロンドン市長と市民のおかみさんとの問答を思い起した。おかみさんはいった。「ロンドンの横町は光線の小布れしか売って呉れません」市長は溜息をついて言った。「只である筈《はず》の日光と空気にロンドンはこれでも世界一の仕入値段を払っているのですぞ」
建物の低い日本の空の広さ。外人観光客へ勧める宣伝文に「日本は世界一の空の都」と観光局はつけ加えていい。
空の美しさ。それは紗《しゃ》の面布のようにすぐ近く唇にすすって含めるし遠くは想いを海王星の果てまでも運んで呉れる。
巴里《パリ》の空は寒天の寄せものだし、伯林《ベルリン》の空は硝子《ガラス》製だし、倫敦《ロンドン》の空は石綿だった。そしていまこの日本の空は――
加奈子は手を差し延べて空の肌目《きめ》を一つかみ掴み取ってみる。絹ではない。水ではない。紙ではない。夢? 何か恐ろしいようだ。
これがもし夢であるとすればこの大きな夢を誰がどこで夢みているのだろうか。この二月でもない、四月でもない、三月にふさわしい三月の空を。これに較べると西洋の都会と空の雇傭契約は大ざっぱだ。一年を夏冬二期の空に分けて頭の上で交替させる。
加奈子は窓と窓下の子供に道路の通俗性を感じながら五六歩あるいた。電柱を見上げる。どうもそうだったのだ。さっきから賑やかな町の景色、にぎやかな町の景色、といつか思っていたのはこの電柱街路樹のためだったのだ。そっくりこのままの樹がどこかの山にありそうだ。梢《こずえ》にきちょうめんに横に並んだ枝を出して白い蕾《つぼみ》をつけて葉は無い。電信工夫は山からその樹を抜いて来てバナナのように皮を剥いただけで地に立てる。東洋ほど自然に寵愛《ちょうあい》され、自然を原形のまま
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