の次男の家へかからしめた理由なのであった。
「私もときどき父に附添って歩くうちに、どうやら東海道の面白味を覚えました。この頃は休暇毎には必ず道筋のどこかへ出かけるようにしております」
小松技師は作楽井氏に就ていろいろのことを話した。作楽井氏も晩年には東海道ではちょっと名の売れた画家になって表具や建具仕事はしなくなったことや、私の主人に、まだその後街道筋で見付けた参考になりそうな事物を教えようとて作楽井氏が帳面につけたものがあるから、それをいずれは東京の方へ送り届けようということや、作楽井氏の腰の神経痛がひどくなって床についてから同じ街道の漂泊人仲間を追憶したが、遂に終りをよくしたものが無い中にも、私の主人だけは狡くて、途中に街道から足を抜いたため、珍らしく出世したと述懐していたことやを述べて主人を散々に苦笑させた。話はつい永くなって十時頃になってしまった。
小松技師は帰りしなに、少し改って
「実はお願いがあって参りましたのですが」
と言って、暫く黙っていたが、主人が気さくな顔をして応《う》けているのを見て安心して言った。
「私もいささかこの東海道を研究してみましたのですが、御承知の通り、こんなに自然の変化も都会や宿村の生活も、名所や旧蹟も、うまく配合されている道筋はあまり他にはないと思うのです。で、もしこれに手を加えて遺すべきものは遺し、新しく加うべき利便はこれを加えたなら、将来、見事な日本の一大観光道筋になろうと思います。この仕事はどうも私には荷が勝った仕事ですが、いずれ勤先とも話がつきましたら専心この計画にかかって私の生涯の事業にしたいと思いますので」
その節は、亡父の誼《よし》みもあり、東海道愛好者としても呉々《くれぐれ》も一臂《いっぴ》の力を添えるよう主人に今から頼んで置くというのであった。
主人が「及ばずながら」と引受けると、人懐っこい眼を輝かしながら頻《しき》りに感謝の言葉を述べるのであった。そして、これから私たちの行先が桑名見物というのを聞取って
「あすこなら、私よく存じている者もおりますから、御便宜になるよう直ぐ電話で申送って置きましょう」
と言って帰って行った。
小松技師が帰ったあと、しばらく腕組をして考えていた主人は、私に言った。
「憧憬という中身は変らないが、親と子とはその求め方の方法が違って来るね。やっぱり時代だね」
主人のこの言葉によって私は、二十何年か前、作楽井氏が常に希望を持つ為めに、憧憬を新らしくする為めに東海道を大津まで上っては、また、発足点へ戻ってこれを繰返すという話を思い出した。私は
「やっぱり血筋ですかね。それとも人間はそんなものでしょうか」
と、言った。
汽車の窓から伊勢路の山々が見え出した。冬近い野は農家の軒のまわりにも、田の畦《あぜ》にも大根が一ぱい干されている。空は玻璃《はり》のように澄み切って陽は照っている。
私は身体を車体に揺られながら自分のような平凡に過した半生の中にも二十年となれば何かその中に、大まかに脈をうつものが気付かれるような気のするのを感じていた。それはたいして縁もない他人の脈ともどこかで触れ合いながら。私は作楽井とその息子の時代と、私の父と私たちと私たちの息子の時代のことを考えながら急ぐ心もなく桑名に向っていた。主人は快げに居眠りをしている。少し見え出したつむじの白髪が弾ねて光る。
底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「第六創作集『老妓抄』」中央公論社
1939(昭和14)年3月18日
初出:「新日本」
1938(昭和13)年8月号
入力:佐藤洋之
校正:高橋真也
1999年2月6日公開
2005年9月27日修正
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