とも》時代になってもまだそんなふうだったから、この時代の鎌倉の千手の前が都会風の洗練された若い公達《きんだち》に会って参ったのだろうし、多少はそういう公達を恋の目標にすることに自分自身誇りを感じたのじゃないでしょうか」
私はもう一度、何となく手越の里を振返った。
私と主人はこういう情愛に関係する話はお互いの間は勿論《もちろん》、現代の出来事を話題としても決して話したことはない。そういうことに触れるのは私たちのような好古家の古典的な家庭の空気を吸って来たものに取っては、生々しくて、或る程度の嫌味にさえ感じた。ただ歴史の事柄を通しては、こういう風にたまには語り合うことはあった。それが二人の間に幾らか温かい親しみを感じさせた。
如何《いか》にも街道という感じのする古木の松並木が続く。それが尽きるとぱっと明るくなって、丸い丘が幾つも在る間の開けた田畑の中の道を俥は速力を出した。小さい流れに板橋の架かっている橋のたもと[#「たもと」に傍点]の右側に茶店風の藁屋《わらや》の前で俥は梶棒を卸《おろ》した。
「はい。丸子へ参りました」
なるほど障子《しょうじ》に名物とろろ汁、と書いてある。
「腹が減ったでしょう。ちょっと待ってらっしゃい」
そういって主人は障子を開けて中へ入った。
それは多分、四月も末か、五月に入ったとしたら、まだいくらも経たない時分と記憶する。
静岡辺は暖かいからというので私は薄着の綿入れで写生帳とコートは手に持っていた。そこら辺りにやしお[#「やしお」に傍点]の花が鮮《あざやか》に咲き、丸味のある丘には一面茶の木が鶯餅《うぐいすもち》を並べたように萌黄《もえぎ》の新芽で装われ、大気の中にまでほのぼのとした匂いを漂わしていた。
私たちは奥座敷といっても奈良漬色の畳にがたがた障子の嵌《はま》っている部屋で永い間とろろ汁が出来るのを待たされた。少し細目に開けた障子の隙間から畑を越して平凡な裏山が覗かれる。老鶯《ろうおう》が鳴く。丸子の宿の名物とろろ汁の店といってももうそれを食べる人は少ないので、店はただの腰掛け飯屋になっているらしく耕地測量の一行らしい器械を携《たずさ》えた三四名と、表に馬を繋いだ馬子《まご》とが、消し残しの朝の電燈の下で高笑いを混えながら食事をしている。
主人は私に退屈させまいとして懐《ふところ》から東海道|分間《ぶんま》図絵を出し
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