まち臆病《おくびょう》らしくおどおどして茶を汲《く》んで私の前に置いてとっつけたように云った。「多分素晴らしく美人だったのでしょうな。その美人は。」私はおとなしく笑っちまった。「ええ、有がとう。」私は何が為に有がとうと云ったのだろう。そのくせ胸は口惜しさで一ぱいなのに……。
 私はそれから、精々麻川氏にもてなされて氏はやっぱり気の弱い好人物なのだ、と心の一部分では思い乍《なが》ら部屋へ帰った。だが、口惜しさは止らない。従妹達《いとこたち》には昼寝の振して背中を向け横になった。そしてひそかに出て来る涙を抑えた。私も頑愚で人に自分の思うことを曲げられないあつかい難い女かも知れない。しかし、麻川氏の神経はあんまりうるさい。これではまるで、鎌倉へ麻川氏の意地張りの対手に来て居るようなものじゃないか……。
 従妹がうしろで云った。「お姉様。麻川さんと何か喧嘩《けんか》していらしったのでしょう。」あとは従妹の独語的に「ほんとにさ、多田さん(嘗《かつ》て私を変態的に小説に書いて死んで行った病詩人)麻川さんと云い、文士なんて、なんてうざうざと面倒くさい人達なんだろう。」この実際家で、しっかり者の従妹の云い草が、あんまりユーモリスチックなんで、私は、くるっと体を向き変え声を立てて笑って云った。「そして、このお姉様も、およそ面倒くさい、うざうざじゃないかねえ。」「ふふん、仕方が無い、さ。」従妹はぱたん、と棕梠《しゅろ》バタキで蠅《はえ》を叩《たた》いた。
 一しきり昼寝して起きて従妹に羊羹《ようかん》を切らせ、おやつにして居ると、障子の外で、ことん、ことん、廊下を踏む足音がする。「どなた?」と従妹が立って行く先に障子を細目に開けたのは麻川氏だった。「やあ、お茶ですか、また来ましょう。」私は先刻の事などひと寝入りして忘れて仕舞ったあとなので「いいえおはいり下さい。藤村の羊羹が東京から届きましたの。」愛想よく麻川氏に座蒲団《ざぶとん》をすすめた。氏は片手に紙挟《かみばさ》みのようなものを持ってはいって来た。私達のすすめる羊羹を、「うまいですな。」と一切|喰《た》べた。そして何か落ちつかない様子で、まじまじ襖《ふすま》や床の間を見て居たが、やがて紙挟みを私の前へ出して、「これ御覧になりませんか。」私「何ですか。」麻川氏「ブックの間から偶然出て来たんですよ。」
 私は何気なく氏の手から受け取って見ればそれは一枚のオフセット版でチントレットの裸婦像だった。艶消《つやけ》しの珠玉のような、なまめかしい崇高美に、私は一眼で魅了されて仕舞った。従妹も伸び上って私の手許《てもと》の画面に見入った。そして、「まあ。」と嘆声をもらした。「ははあ、讃嘆《さんたん》して居られますな。」と麻川氏はめったに談しかけない従妹へ言葉をかけなかなか画面から眼を離さない私達を満足気に見守って居たが、私が画を氏に返すと、氏は待ち受けたように云い出した。「然《しか》しですな、僕等がこの大正時代に於て斯《こ》うまで讃嘆するこの裸婦の美をですな、我国古代の紳士淑女達――たとえば素盞嗚尊《すさのおのみこと》、藤原鎌足《ふじわらのかまたり》、平将門《たいらのまさかど》、清少納言、達が果して同等に驚嘆するかですな、或いはナポレオンが、ヘンリー八世が、コロンブスが、クレオパトラが、南洋の土人達がですな、果して、今の我々と同価に評価するかどうかですな……。」
 氏の言葉を茲《ここ》まで聞いて私は、氏がチントレットの画像を私の部屋に見せに来た意味がほぼ判った。氏は、先刻私と云い合った美人の評価の結論を氏の思わく通りに片付け度《た》くってチントレットの裸婦像をその材料に使う為め、私の部屋まで出かけて来て、殆《ほとん》どその効果を収め得たのだ。私は胸にぐっとつかえるものが出来て氏の言葉を聞き乍ら氏の手へ返ったオフセット版をじっと見詰めて居た眼を動かさなかった。氏の敏感はすぐその私に気がついたらしく流石《さすが》に黙って立ち上った氏の顔を私が視《み》たとき私はたしかに氏の顔に「自己満足の創痍《そうい》。」を見た。私はあの時の氏の「自己満足の創痍。」に氏の性格の悲劇性をまざまざ感じたのを今もはっきり覚えて居る。
 叔母さんのいわゆる「うしろ暗さ」をさしあたり麻川氏に探せば以上のような先日中からのいきさつのいろいろが想《おも》い出される。だが、氏が「自己満足の創痍。」のためにやや蹌踉《そうろう》として居る始末までをなお私が氏からこの上負わされるのはやり切れない。
 某日。――氏の部屋には大勢の氏の崇拝客が殆ど終日居並んでいた。氏は客達の環中に悠然と坐《すわ》って居ると殆ど大人君子のような立ち優《まさ》った風格に見える。あれを個人と対談してひどく神経的になる時の女々しく執拗《しつよう》な氏に較《くら》べると実に格段の相違がある。それにしても或る人が或る人を云うのに、「自分はあの人に何年つき合って居る。」などとその人を知悉《ちしつ》して居るように云うのを聞くが、私には首肯出来ない。一昼夜のうちに或る一定時間に主客として逢《あ》ったとて要するにそれはその人にとって置きの対人的時間を選んで逢ったものに過ぎない。どんなに砕けて応対してもそれはその人のとって置きの時間内での知己である。麻川氏のような見栄坊《みえぼう》な性格の人はなおさら、どんな親しい友人間としても全部の武装を解除しては逢って居まい。たとえ短時日でも隣人として朝夕の不用意のうちにその人の多方面を見ることは、主客、友人として特定時間内に何年逢って居るよりも何程か多くその人の表裏全幅を知悉し得ると云えよう。私はもはや二十日以上も、麻川氏と壁一重を隔てたばかりの生活を過した。私は、通常の客や友人同志の知らない「不用意の氏」を随分|観《み》た。或る朝、氏が帯の端を垂らしてだらしなく廊下を歩いて便所に行く後姿。誰も居ない洗面所の鏡の前へ停って舌を出したり額を撫《な》でたり、はては、にやにや笑い、べっかっこ[#「べっかっこ」に傍点]をした顔を写し、それを誰も知らないつもりで済まし返って部屋へ引っ込んで行った氏。またある日の午後、盥《たらい》の金魚をたった一人でそっと覗《のぞ》いて居た氏。ひっそりと独りの部屋で爪《つめ》を切って居た氏。黙って壁に向って膝《ひざ》を抱いて居た氏。夜陰窓下の庭で上半身の着衣を脱いでしきりに体操をして居た氏。ふと、創作の机から上げた氏の顔が平生の美貌《びぼう》と違った長いよれよれの顔で、気味悪いグロテスクな表情を呈して居た。これらは、他人に向って一種のポーズをつくり、文学だの美術だのを談って居る氏よりも、どれほど無邪気で懐しく、人間的な憂愁や寂寞《せきばく》のニュアンスを氏から分泌しているかも知れないのだ。私が氏の為めに、随分腹立たしい不愉快な思いをし乍ら、いつかまた好感を持ち返すのは、ふとした折に以上のような氏の人知れない表情に触れるともなく触れるからかも知れないのだ。
 某日。――蒸暑い風が、海の方から吹き続けてきて、部屋には居たたまれない夜だ。叔母さんは、お駒婆さんと親しくなって、町へ一緒に買物に行った。私は、たまった手紙を書き終え九時頃従妹と庭の涼み台に出た。其処にたった一人麻川氏が居た。星の多い夜だ。私達は話し乍ら星を仰ぎ勝ちだった。「僕、さっき、一寸おもい付いたんだが、あなたにこんな歌がありませんでしたか……大都市東京の憂愁を集めて流す為めか灰色に流れる隅田川は……とかいうの。」私「ええ。ずっと子供のうち下町の生活を暫《しばら》くしてましたの。その時期にあの辺の都会的憂愁が身にしみたんですの。」麻川氏「あなたは大たい憂愁家ですね。つき合って僕は気がひきしまる。それに坂本さんもあんなに好い人だし、僕鎌倉へ来て好かったかな。」私「けむたがられたことも私達ありましたのね。」麻川氏「あははは……。」私「でもよく私達の隣へ越していらっしゃいましたわ。」麻川氏「でも、僕の方が先へ借りてたんだもの……それに僕は気が変り易いから。」従妹が突然太い声を出して「私ね東京って云えば直《す》ぐに青山御所を思い出すっきりよ。」と云ったので話はまたあとへ戻った。麻川氏「あはは……それも単純で好いな……僕なんか本所育ちで、本所の大どぶに浮いた泡のようなもんですよ。」従妹「あらいやだ。」麻川氏「そうですよ、ああそうですとも(私に向いて)どうもね、直きぶくぶくと消えて行きそうですよ。」私「星を見乍らそんなことを考えていらっしったんですか。」麻川氏「要するに、こんないいかげんな世の中に、儚《はか》ない生死の約束なんかに支配されて、人間なんか下らないみじめな生物なんだ。物質の分配がどうだの、理想がどうだの、何イズムだのと陰に陽にお祭り騒ぎして居るけれど、人間なんて、本当の処は桶《おけ》の底のウジのようにうごめき暮らして居る惨《みじめ》な生物に過ぎないんですな。」私「そうですね。でも、そういう風に思い詰めるどんづまりに、また反撥心《はんぱつしん》も起って、お祭騒ぎや、主義や理想も立て度《た》くなるんじゃないのですか。どっちも人間の本当のところじゃありませんか。」氏「生死の問題に就《つ》いてあなたは何う思いますか。」私「死は生の或る時期からの変態で、生は死の或る時期以前の変態というようにも考えるし、また、まるまる別個のようにも考えますわ。」氏「というと、生死一如でもあり、また全々生死は聯絡《れんらく》のないものとも考えるんですな。」私「ええ。」氏「願くばどっちかに片づけ度いもんですね。」私「仕方が無いからさしあたりどちらか私達をより以上に強く支配する観念の方へ就くんですね。」氏「僕は生死一如とは考えない。死はどこまでも生の壊滅後に来る暗黒世界だと、観念の眼を閉じて居るけれど、たった一つ残す自分の仕事によって、死後の自分と、現在との聯絡はとれるものだと思ってますな。」私「私もそう考えたことがありました。しかし、今は、かなり違って来ました。私達の肉体に籠《こも》るエネルギーは死によって物質的に変化し宇宙間の実在要素としてこの宇宙以外一歩も去らずに残るかもしれませんが、それ以上の個性とか、精神とか、つまり現象的な存在は全々消失して仕舞うから生存中の自己の現象的な産物の仕事なんかは、死後に全々消失する個性的な自己というものに、何の関係もありはしない……あると思うのは、あとのこの世に残った人達の観察に過ぎないんでしょう……。」氏「一寸《ちょっと》待って下さい、あなたはそんな風に考えて淋しいとは思いませんか。少くとも、あなたのような感情家が。」私「淋しいと思い、そして私が感情家だから、なおそんな処まで考え抜いちまったんですよ。」氏「判りました。あなたが怒りんぼうのくせに、じき優しくなるのも、そんな思考の曲折や、性格の変化があなたにあるからですな。」私「そうでしょうか。私なんか煩悩《ぼんのう》だらけで、とても、ものごとを単純に考えて、晏如《あんじょ》として居られないんです。そのくせ性格の半面は、とても単純でのん気千万のくせに。」すると従妹《いとこ》が突然「それが好いわよ。」と妙なしめくくりをつけたので、私はちぐはぐな気持ちになって黙って仕舞った。麻川氏は私達の側から立って今一つあいている長方形の涼み台の上に仰向《あおむ》けになった。八月下旬に近く、虫がしんとした遠近の草むらで啼《な》いている。麻川氏の端正な顔が星明りのなかでデスマスクの様に寂然と見える。ひょっとしたら、尖《とが》った鼻先から氏の体が、見る見る白骨に化して行くのでは無いかと思われてぞっとした。そして、私のそのかすかな身ぶるいのなかを氏の作品の「羅生門」の凄惨《せいさん》や「地獄変」の怪美や「奉教人の死」の幻想が逸早《いちはや》く横切った。私はそれ等諸作の追憶から湧《わ》き上る氏への崇拝の心を籠《こ》めて、「とにかくお体を大切になさいまし。」と平常ならば恥かしいような改まった口調で云った。先年主人が戯画に描いて氏を不愉快にしたのも其処から文学世界の記者川田氏が材料を持って来たのであるが、その後も氏が支那旅行か
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