羽、梅花を渡るうすら冷たい夕風に色褪《いろあ》せた丹頂の毛をそよがせ蒼冥《そうめい》として昏《く》れる前面の山々を淋しげに見上げて居る。私は果無《はかな》げな一羽の鶴の様子を観《み》て居るうちに途中の汽車で別れた麻川氏が、しきりに想《おも》われるのであった。「この鶴も、病んではかない運命の岸を辿《たど》るか。」こんな感傷に葉子は引き入れられて悄然《しょうぜん》とした。
その年七月、麻川氏は自殺した。葉子は世人と一緒に驚愕《きょうがく》した。世人は氏の自殺に対して、病苦、家庭苦、芸術苦、恋愛苦或いはもっと漠然とした透徹した氏の人生観、一つ一つ別の理由をあて嵌《は》めた。葉子もまた……だが、葉子には或いはその全てが氏の自殺の原因であるようにも思えた。
その後世間が氏の自殺に対する驚愕から遠ざかって行っても葉子の死に対する関心は時を経てますます深くなるばかりである。とりわけ氏と最後に逢った早春白梅の咲く頃ともなれば……そしてまた年毎に七八月の鎌倉を想い追懐の念を増すばかりである。
また画家K氏のT誌に寄せた文章に依《よ》れば、麻川氏はその晩年の日記に葉子を氏の知れる婦人のなかの誰より懐しく聡明《そうめい》なる者としてさえ書いて居る。それが葉子の思いを一層切実にさせるというのは葉子は熱海への汽車中、氏に約した会見を果さなかった、氏と約した通り氏に遇《あ》い氏が仮りにも知れる婦人の中より選び信じ懐かしんで呉《く》れた自分が、鎌倉時代よりもずっと明るく寛闊《かんかつ》に健康になった心象の幾分かを氏に投じ得たなら、あるいは生前の氏の運命の左右に幾分か役立ち、あるいは氏の生死の時期や方向にも何等かの異動や変化が無かったかも期し難いと氏の死後八九年経た今でもなお深く悔い惜しみ嘆くからである。これを葉子という一女性の徒《いたず》らなる感傷の言葉とのみ読む人々よ、あながちに笑い去り給うな。
底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1974(昭和49)年〜1978(昭和53)年
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2001年4月3日公開
2003年5月25日修正
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