そりゃ、そうです。だから僕は、こんな事考え乍ら出来るだけ妻に対しては好い夫、子にも好い父であろうとして居ます。でもそういう責任や羈絆《きはん》を感ずれば感ずる程また一方に家庭への反逆心も起ろうというもんです。はははは……人間なんて、殊に男なんて勝手なもんですな。」
 氏の笑い声が、はたはたと、八月の海岸地の繁茂する野菜畑に響き渡った。氏が妙に空虚に張った声の内容には、何か韜晦《とうかい》する感情が、潜んでいるようにも感ぜられた。ことによったら氏は家庭へ帰る代りに誰かに昨夜ひそかに逢《あ》って来たのでは無いかしら……誰かに……或いは彼女……X夫人に……。
 某日。――昨夜、おばさん三味線《しゃみせん》を持って東京へ帰り(私に唄《うた》をうたわせ発声運動の目的で来たが私が避暑地の人達に聞かれるのを嫌がるので、)主人今朝大阪より此処へ戻る。夜汽車の疲れを見せてH屋の表門を主人がはいるや、麻川氏はいそいそ出迎えて呉《く》れる。私達の部屋より表門に近い氏の部屋へ氏は主人をまず招じて座布団《ざぶとん》をすすめ、洗面器へ冷水を汲み、新らしいタオルを添えるなど、この気の利かない私よりもずっと行き届いた款待振《かんたいぶ》りである。そういう場合氏の亙《わた》りの長い手足は、中年の良妻のような自由性と洗錬を見せて働く。こういう折々、いつも私は思うのであるが、これは氏の天資か、幼時からの都会の良家的「お仕込み」で、習性となって居る氏の動作が、このほか松葉杖つく画家K氏を、まめまめしく面倒見る氏の様子を、何事の美挙ぞと、私は眺めたことも度々あった。主人も好もしそうに微笑して氏にもてなされて居る。両優ふくんだような初対面の挨拶に代って、今や私達は真に打ち融け合った一家族の如き団欒《だんらん》をなす。
 某日。――大阪から主人が戻って五六日たった今日の午前十時頃、H屋の門前に一台の古馬車が止った。これは鎌倉でも海岸に遠い場所から海岸へ出る人の為めに備えられている雇い馬車であるらしい。私は確実には知らないが、何処かの貨馬車置場にでも納まっているものらしい。鎌倉の街を歩いて居て曾《かつ》てこんな馬車に逢わなかったのを見ると、余程特種な計画的な場合の人にのみこれは雇われるものらしい。それを麻川氏の部屋で頼んだものだ。私が、麻川氏の部屋と敢《あ》えて書くのは、この頃の麻川氏の部屋は、大川赫子によって殆
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