まち臆病《おくびょう》らしくおどおどして茶を汲《く》んで私の前に置いてとっつけたように云った。「多分素晴らしく美人だったのでしょうな。その美人は。」私はおとなしく笑っちまった。「ええ、有がとう。」私は何が為に有がとうと云ったのだろう。そのくせ胸は口惜しさで一ぱいなのに……。
私はそれから、精々麻川氏にもてなされて氏はやっぱり気の弱い好人物なのだ、と心の一部分では思い乍《なが》ら部屋へ帰った。だが、口惜しさは止らない。従妹達《いとこたち》には昼寝の振して背中を向け横になった。そしてひそかに出て来る涙を抑えた。私も頑愚で人に自分の思うことを曲げられないあつかい難い女かも知れない。しかし、麻川氏の神経はあんまりうるさい。これではまるで、鎌倉へ麻川氏の意地張りの対手に来て居るようなものじゃないか……。
従妹がうしろで云った。「お姉様。麻川さんと何か喧嘩《けんか》していらしったのでしょう。」あとは従妹の独語的に「ほんとにさ、多田さん(嘗《かつ》て私を変態的に小説に書いて死んで行った病詩人)麻川さんと云い、文士なんて、なんてうざうざと面倒くさい人達なんだろう。」この実際家で、しっかり者の従妹の云い草が、あんまりユーモリスチックなんで、私は、くるっと体を向き変え声を立てて笑って云った。「そして、このお姉様も、およそ面倒くさい、うざうざじゃないかねえ。」「ふふん、仕方が無い、さ。」従妹はぱたん、と棕梠《しゅろ》バタキで蠅《はえ》を叩《たた》いた。
一しきり昼寝して起きて従妹に羊羹《ようかん》を切らせ、おやつにして居ると、障子の外で、ことん、ことん、廊下を踏む足音がする。「どなた?」と従妹が立って行く先に障子を細目に開けたのは麻川氏だった。「やあ、お茶ですか、また来ましょう。」私は先刻の事などひと寝入りして忘れて仕舞ったあとなので「いいえおはいり下さい。藤村の羊羹が東京から届きましたの。」愛想よく麻川氏に座蒲団《ざぶとん》をすすめた。氏は片手に紙挟《かみばさ》みのようなものを持ってはいって来た。私達のすすめる羊羹を、「うまいですな。」と一切|喰《た》べた。そして何か落ちつかない様子で、まじまじ襖《ふすま》や床の間を見て居たが、やがて紙挟みを私の前へ出して、「これ御覧になりませんか。」私「何ですか。」麻川氏「ブックの間から偶然出て来たんですよ。」
私は何気なく氏の手から受け取っ
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