に依《よ》ると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。
夏の葉盛りには鬱青《うっせい》の石壁にも譬《たと》へられるほど、蔦はその肥大な葉を鱗《うろこ》状に積み合せて門を埋めた。秋より初冬にかけては、金朱のいろの錦《にしき》の蓑《みの》をかけ連ねたやうに美しくなつた。霜《しも》の下りる朝|毎《ごと》に黄葉|朽葉《くちば》を増し、風もなきに、かつ散る。冬は繊細|執拗《しつよう》に編み交《まじ》り、捲《ま》いては縒《よ》れ戻る枝や蔓枝だけが残り、原始時代の大|匍足類《ほそくるい》の神経か骨が渇化して跡をとゞめてゐるやうで、節々に吸盤らしい刺《とげ》立ちもあり、私の皮膚を寒気立たした。しかし見方によつては鋼《はがね》の螺線《らせん》で作つたルネサンス式の図案様式の扉にも思へた。
蔦を見て楽しく爽《さわや》かな気持ちをするのは新緑の時分だつた。透き通る様な青い若葉が門扉《もんぴ》の上から雨後の新滝のやうに流れ降り、その萌黄《もえぎ》いろから出る石竹《せきちく》色の蔓尖《つるさき》の茎や芽は、われ勝ちに門扉の板の空所を匍《は》ひ取らうとする。伸びる勢《いきおい》の不揃《ふぞろ》ひなところが自由で、稚《おさな》く、愛らしかつた。この点では芝、白金の家の敷地の地味はもつともこの種の蔓の木によかつたらしく、柔かく肥《ふと》つた若葉が無数に蔓で絡《から》まり合ひ、一握りづつの房になつて長短を競はせて門扉にかゝつた。
「まるで私たちが昔かけた房附きの毛糸の肩掛けのやうでございますね」
自然や草木に対してわり合ひに無関心の老婢《ろうひ》のまき[#「まき」に傍点]までが美事な蔦に感心した。晴れてまだ晩春の朧《ろう》たさが残つてゐる初夏の或る日のことである。老婢は空の陽を手庇《てびさし》で防ぎながら、仰いで蔦の門扉に眼をやつてゐた。
「日によると二三|寸《すん》も一度に伸びる芽尖《めさき》があるのでございます。草木もかうなると可愛《かわ》ゆいものでございますね」
性急な老婢は、草木の生長の速力が眼で計れるのに始めて自然に愛を見出《みいだ》して来たものゝやうである。正直ものでも兎角《とかく》、一徹に過ぎ、ときにはいこぢにさへ感ぜられる老婢が、そのため二度も嫁入つて二度とも不縁に終り、知らぬ他人の私の家に永らく奉公しなければならない、性格の一部に何となくエゴの殻をつけてゐる老年の女
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