………あんたの我儘が見度くて来られたのです」
「え、わたくしの我儘が?」
「そうだ、あんたの天下第一の我儘がしきりに見度いと仰しゃって私に案内をさせなされた」
「まあ私の我儘を今更何で先生が………」
そのとき麗姫の顔には愁《さび》しいとも恥かしいとも云い切れない複雑な表情が走った。支離遜は曾《かつ》て彼女にこんな表情の現れたのを見たことが無かった。だが、荘子はふかく腕をこまぬいて瞑目して居たためその表情を見のがした。
また一ヶ月程たった。初涼のよく晴れた日である。あたたかい日向の沢山ある櫟社のあたりへ一輛の旅車が現れ、そして荘子の家の門前に止った。車のなかから現れたのは供の者に大きな土産包みを持たせた支離遜だった。低い土塀の際の葉の枯れた牡丹に並んで短い蘭の葉が生々と朝の露霜をうけた名残《なごり》の濡色を日蔭に二株三株見せていた。もう正午にも近かろう時刻だったが荘子の家のなかはしんと静まっていた。遜は自分のあとからつかつか門内に入って来た供の者を一寸手で制して、尚よく家の中のけはいをうかがって居ると、裏庭に通じる潜り扉が開いて荘子の妻の田氏が手帛で濡れ手を拭き乍ら出て来た。
「おや誰ぞお人がと思いましたら遜様で御座いましたか、さあ、どうぞ」
遜は入口の土間の木卓の前へ招ぜられた。
「奥様は何か水仕事でもなさって居らっしゃいましたか、お加減がお悪いとか伺いましたのに」
「いえ、大したことも御座いませんのでお天気を幸《さいわい》、洗濯ものをいたして居りました」
「奥様が洗濯までなさるような御不自由なお暮らしにおなりなさいましたか………いやいや長くはそうおさせ申して置きません、遠からずくっきょうな手助けのはしためをお傍におつけいたすようお取はからい申しましょう」
「いえ、どういたしまして、加減が悪いと申して大したことも御座いません、わずかなすすぎ洗たく位、この頃の夫のことを思いますれば却ってこうした私の暮らしが似合ってよろしゅう御座います」
「そう仰れば今日は荘先生には如何なされましたな」
「ほ、ほ、ほ、まだお気づきになりませぬか、あれ、あの裏庭の方から聞える斧の音………あれは夫が薪割《まきわ》りをいたして居る音で御座います」
「なに荘先生が薪割り?………それはまた何とした物好きなことを始められましたことです」
「いつぞや洛邑から帰りまして………そう申せばあの折は、大層なおもてなしを頂きまして有難う存じました………あれから暫くの間考え込んで居りましたがふと思いついてあのようなことを始めましてから夫の日々が追々晴やかになりまして、あのものぐさが跣《はだし》で庭の草取りはする、肥料汲みから薪割り迄………とりわけ薪割は大好きだと申しまして………無心で打ち降す斧が調子よく枯れた木体をからっと割る時の気持ちの好さは無いなど申しまして」
「昼間がそれで、読書や書きものなど夜にでもなさるとしたら………お疲れでも出なければ宜いがな」
田氏は少しためらった後思い切って言った。
「いくら夫をおひいきのあなた様にでもこのようなこと申し難いので御座いますが………実は夫は此頃《このごろ》読書も書きものも殆ど致さなくなりました。先夜なども、今まで読んで居た本が却って目ざわりだと云って、さっさと片づけにかかりましてその代りの夜なべ仕事に近所の百姓達を呼びまして豚飼いの相談を始めました。豚を飼って、ことによったら豚小屋へ寝る夜もあるか知れないなど申し、豚の種類の調べや豚小屋の設計まで始め、自分で板を割ったり屋根葺《やねふ》きを手伝ったり………」
「うむ」
支離遜は唸るように云って田氏が汲んで出したなりでぬるくなった茶をすすった。田氏は控え目乍ら、今の自分達にとって思うことを打ち明けられる人とてはこの人よりほかに無い遜にともかく聞くだけは聞いて貰い度く、
「わたくしがある夜、おそるおそるあなたはもう、「道」の研究はおやめになってこの里の村夫子になってお仕舞いになりますのか、と尋ねましたら、夫がいくらか勇んで申しますには、その「道」がそろそろ見え初めて来たよという返答を申しますでは御座いませんか。わたくしがすこしあきれて、へえ、と思わず顔を見守りますと「道」はどこにでもありそうだ。「道」の無いところはないのだ。「道」は螻蟻《ろうぎ》にもある。※[#「禾+弟」、第4水準2−82−88]稗《ていはい》にもある。瓦甓《がへき》にもある。屎尿《しにょう》にもある。と仕舞いにはごろりと身を横たえて俺は斯して居ても「無為自然の道」を歩いて居るのだと申すようなわけで御座います」
土間から裏口に通じる扉の外で荘子の咳払いが聞えた。それは好晴の日の空気に響いた。田氏はほほ笑み乍ら立ち上った。
「夫が参りましたようですが初手からあまり夫の此頃をよく御存じのような御様子をなるべくなさいませんように、追々お話をほぐして頂き度う御座います。でないとまたとんだつむじを曲げまいものでも御座いませんので」
「はい承知いたしました」
遜が一かどの儀容を整えにかかるとき佝僂乍ら一種の品格が備わるのであった。荘子は扉を無器用に開けて土間へ入って来た。快晴の日の外気を吸って皮膚は生々した艶を浮べて健康そうに上気した顔は荘子の洛邑に住居した時代の美貌をいくらか取り返したように見えた。
「ひるの刻げんになりました。酒など温め、上座へお席をあらためておもてなしを致しましょう」
と云い乍ら厨《くりや》へ去った田氏に代って荘子は空いた牀几《しょうぎ》に腰を下した。
荘子は先ず先頃洛邑での遜のあついもてなしを謝したのち、次には黙って掌を示し、仰向けた指の付根に幾粒も並ぶマメを撫でて遜に見せた。遜は落付いた声音で云った。
「あなたは薪を割って愉快な日頃をお過しですが洛邑では不興が起りました」
「え、それは何ですか遜さん」
「麗姫がな、あれからすっかり変りました」
「なに麗姫が? 麗姫が何とかしましたか」
「あなたが麗姫を尋ねて洛邑を退出なさった頃から麗姫が変り始めましたな。今までの我儘を恥じる恥じるとそればかり申してな。髪形は気にする言葉使いは気にする。人の評判は気にするからもう以前の麗姫では無くなりました。どうしたことでしょう。それで却って洛邑の人気を落して仕舞ったわけです。あの娘はあの勝手気儘なところで人を引きつけて居たのですからな。で私は云ってやりました。荘先生がそなたの我儘を見に来たと云われたのは却ってそなたののびのびして生きて居られる様子を快哉《かいさい》に感じられ「道」を極める荘先生に好い影響さえお与え申したのだ。見当違いに恥じたりなさるな。と呉々《くれぐれ》も申し聞かせたのですが駄目です」
荘子は腕を措き眼を瞑《つむ》って深く考え沈んで居たがやがて沈痛な声の調子で云った。
「然《しか》し、それもまた天恵に依る物化の一道程かも知れないから、致し方もあるまい。丁度わしが書物や筆を捨てて薪割りの斧を取上げたようにな」
遜はまじまじと荘子の顔を見て居たがややせき込んだ調子で云った。
「私には何もかもまだはっきりと分りませんが、斯《こ》ういうことも麗姫に云って聞かせてやったのです。南海に※[#「條」の「木」に代えて「黨−尚」、第3水準1−14−46]《しゅく》という名前の帝があった。北海に忽《こつ》という名前の帝があった。二人は中央の帝の渾沌《こんとん》を訪問した。渾沌は二人を歓迎し大へん優遇した。そこで客の二人は何とかして礼をしようと思い相談したことには、=人にはみな七竅《しちきょう》がある。それで視聴食息する。ところが渾沌はそれが無い。われわれの好意で丸坊主の渾沌に七竅を穿《うが》ってやろうでは無いか。そこで二人は渾沌に日に一竅ずつを鑿《ほ》った。そしたら七日目に渾沌は死んでしまった。=どうだ天賦自然の性質をためようなんて量見《りょうけん》は間違っていよう。荘先生がお聞きになったら却って苦々しくお思いになろう。と斯うまでもさとして見ましたが、別にそれには返事もしませんで、私が以前こしらえてやりました「麗姫の活人形」を取出しまして、今度櫟社の里の先生のお宅へいらっしゃる時かならずこれを先生御夫妻に差し上げて下さい。先生御夫妻が可愛がって下さった頃の麗姫のかたみだと申し添えてお届けして欲しいと申して………」
遜は土間の隅に大きな包みを抱え、うずくまって居る従者を顧み幾重にもからめた包装を解かせた。
扉のそとの外光を背にした麗姫の活人形が薄暗い土間につと躍り出た。
「あれ、麗姫が!……」
矢庭《やにわ》に驚駭《きょうがい》の声を立てたのは今しも其処《そこ》に酒杯の盆を運んで来た田氏であった。
底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「鶴は病みき」信正社
1936(昭和11)年10月20日発行
初出:「三田文学」
1935(昭和10)年12月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
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