。
小童を手伝わして食卓を撤したあと、袖をかき合せて夜風の竹の騒ぐ音を身にしませ乍ら、田氏はなるたけ夫の感情を刺戟しないようさりげなく云った。
「ねえ、あなた。あなたもたまには洛邑にでも出てお気晴らしをなさっていらっしゃいませ、こんな田舎で長いこと毎日独で考え込んでばかり居らっしゃるのはお体の為によくありませんでしょう」
田氏はまた燭の火に一層近づいて髪の銀|簪《かんざし》がすこし揺れるくらいの調子でつけ加えた。
「ねえ、洛邑に沙汰《さた》して置いて遜さんが次の商用で旅に出ないうちに一度是非行っていらっしゃいませ。そして久しぶりであの無邪気な麗姫にも逢ってごらんなさいませ。案外、お気持も晴れて、御勉強の道も開けて参るかも知れません」
荘子はじっと瞳を凝らして妻の顔を見た。妻が、決して、りんきやあてこすりで麗姫に逢えと云うので無いことは判り過ぎるほど判って居た。それでも荘子は深く妻のその言葉に感謝するという単純な気持ち以外にあまりにこの女の貞淑の誂《あつら》え通りに出来上って居る、というような不思議な気持ちで妻の顔をじっと見て居た。
夜の寝箱にとじ込められる数羽の家鴨《あひる》の
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