を全《まっと》うしているのだという見方をして、この樹を讃嘆するのだった。彼はつぶやいた。
「この樹は人間にしたら達人の姿だ」
 そしてこの樹に対して現わした感慨の根となるものが彼の頭の中に思考としてまとまりかけて居た。=「道」というものは決して人の目に美々しく輝かしく見えるものでもなく、はっきりと線を引いてこれと指さし得るものでも無い。自然の化育に従って、その性に従うものは従い、また瓦石《がせき》ともなり蚊虻《ぶんぼう》ともなって変化に委《まか》せて行くべきものはまたその変化に安《やすん》じて委せる。これが本当の「道」であるべきだ。他の用いを望んで齷齪《あくせく》、白馬青雲を期することは本当の「道」を尋ねるものの道途を却《かえ》って妨げる=だが、この考はまだ何となく彼の頭のなかに据《すわ》りが悪いところもあった。人々は寸のものを尺に見せても世の中に出たがって居る。彼もつい先頃までその競裡に在ったのだ。この習性はそう急に抜け切れるものでは無い。彼はまたしても櫟の大木を見上げて溜息をついた。
 この時、大梁の方角から旅車の一つが轍《わだち》を鳴らして来たが荘子の前へ来ると急に止まって御者《ぎょしゃ》台の傍から一人の佝僂《せむし》が飛降りた。近付いて来ると
「荘先生ではありませんか、矢張り荘先生だった」
 と云った。これは荘子のパトロンで諸国を往来して居る金持商人の支離遜だった。
 支離遜は蜘蛛《くも》のように土坡へ匍い上り荘子と並んで腰を下すと言葉をほとばしらせた。
「今お宅へ伺いましたらこちらにお居でだと伺って直ぐ参りました。久し振りですな、先生なにからお話して宜《よ》いやら、それよりか先生、何故あなたはお勤めも学問の方もおよしになってこちらへ御隠退なさいましたか、お知らせも下さらないで」
 荘子は久し振りで支離遜に逢って嬉しくもあったが直ぐそれを聞かれるのはすこしうるさかった。で、彼はごく手短かに引退の理由を話した。
 この頃、孔子老子の二聖は歿して、約一世紀半ほどの距てはあるがいわゆる「学」と称《とな》えられるものは後嗣の学徒によって体系を整えて来はじめ、それと伍して幾つもの学派が並び起った。
 孔子の倫理的理想主義を承《う》けて孟子は人間性善説を提掲した。これに対して荀子は人間性悪説を執《と》り法治論社の一派を形造った。墨子の流れを汲む世界的愛他主義が流行《はや
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