とが自分で味はれる。
 西洋人の中で好んで日本の緑茶を飲むのはアメリカ人だが、必ず砂糖を入れて飲む。お話にならない。まして新茶の風味などは思ひもよらない。
 およそ嗜好飲料は香料の悦びの外に、一種の客観性の心境を作らせる作用がある。世相が、まま、熱騰でなければ消沈に傾き易いときに、それに釣り込まれないやう、客観性を平衡に保つことは私たちに必要なことである。さればといつて、不経済、不健康ほどに嗜好飲料を摂るのも行き過ぎである。今や、天地爽麗の季に乗じて、新茶一椀の服涼は、忙中僅に許さるべき自然の贈りものではあるまいか。
 煎茶道の中興の祖、上田秋成が書いてゐる「もう何も出来ぬ故、煎茶を飲んで死をきはめてゐるばかりだ」と。而も、それが何もかも、し尽した年齢七十五のときの秋成の言だから、茶には何処か余悠のあることが判る。



底本:「日本の名随筆24 茶」作品社
   1984(昭和59)年10月25日第1刷発行
   1999(平成11)年7月10日第22刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十二巻」冬樹社
   1976(昭和51)年9月第1刷発行
入力:門田裕志
校正:林 幸雄

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