煙を吹き上げては椅子《いす》に踏み反って行くだけ、姉娘のお千代は、居竦《いすく》まされる辛《つら》さに堪えないというふうにこそこそ料理道具の後片付けをしている。一しきり風が窓硝子《まどガラス》に砂ほこりを吹き当てる音が極立《きわだ》つ。
「天才にしても」とお絹はひとり言のようにいった。
「男の癖にお料理がうまいなんて、ずいぶん下卑《げび》た天才だわよ」
 と鼈四郎の顔を見ていった。
 それから溜《たま》ったものを吐き出すように、続けさまに笑った。
 鼈四郎はむっとしてお絹の方を見たが、こみ上げるものを飲み込んでしまったらしい。
「さあ、帰るかな」
 としょんぼり立上ると、ストーヴの角に置いた帽子を取ると送りに立った姉娘に向い
「きょうは、おとうさんに会ってかないからよろしくって、いっといて呉《く》れ給え」
 といって御用聞きの出入り口から出て行った。


 靴の裏と大地の堅さとの間に、さりさり砂ほこりが感じられる初冬の町を歩るいて鼈四郎は自宅へ帰りかかった。姉妹の娘に料理を教えに行く荒木家蛍雪館のある芝の愛宕台《あたごだい》と自宅のある京橋区の中橋広小路との間に相当の距離はあるのだが、
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