で確《しか》と積極的に思想に纏《まと》め上げたつもりでいる。これを裏書するように檜垣の主人の死が目前に見本を示した。
檜垣の主人は一年ほどまえから左のうしろ頸《くび》に癌《がん》が出はじめた。始めは痛みもなかった。ちょっと悪性のものだから切らん方がよいという医師の意見と処法に従ってレントゲンなどかけていたが。癌は一時小さくなって、また前より脹《は》れを増した。とうとう痛みが来るようになった。医者も隠し切れなくなったか肺臓癌《はいぞうがん》がここに吹出したものだと宣告した。これを聞いても檜垣の主人は驚かなかった。「したいと思ったことでできなかったこともあるが、まあ人に較《くら》べたらずいぶんした方だろう」「この辺で節季の勘定を済すかな」笑いながらそういった。それから身の上の精算に取りかかった。店を人に譲り総ての貸借関係を果すと、少しばかり余裕の金が残った。「僕は賑《にぎや》かなところで死にたい」彼はそれをもって京極の裏店に引越した。美しい看護婦と、気に入りのモデルの娘を定まった死期までの間の常傭《じょうやと》いにして、そこで彼は彼の自らいう「天才の死」の営みにかかった。
売り惜んだ彼
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