段程度にこなす腕を自然に習い覚えた。彼は調法な与四郎となった。どこの師匠の家でも彼を歓迎した。棋院では初心の客の相手役になってやるし、琴の家では琴師を頼まないでも彼によって絃《げん》の緩みは締められた。生花の家でお嬢さんたちのための花の下慥え、茶の湯の家ではまたお嬢さんや夫人たちのための点茶や懐石のよき相談相手だった。拓本職人は石刷りを法帖《ほうじょう》に仕立てる表具師のようなこともやれば、石刷りを版木に模刻して印刷をする彫版師のような仕事もした。そこから自ずから彼は表具もやれば刀を採って、木彫|篆刻《てんこく》の業もした。字は宋拓を見よう見真似《みまね》に書いた。画は彼が最得意とするところで、ひょっとしたら、これ一途《いちず》に身を立てて行こうかとさえ思うときがあった。
 頼めば何でも間に合わして呉《く》れる。こんな調法人をどこで歓迎しないところがあろうか。
 彼は紛れるともなく、その日その日の憂さを忘れて渡り歩るいた。母は鼈四郎が勉強のため世間に知識を漁《あさ》っていて今に何か掴《つか》んで来るものと思い込んでるので呑込《のみこ》み顔で放って置いたし、拓本職人の老爺《ろうや》は仕事
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