だけは亦ときどき口に洩《もら》しながら、最小限度のつもりにしろ、食べもの漁《あさ》りはやめなかった。
少青年の頃おいになって鼈四郎は、諸方の風雅の莚《むしろ》の手伝いに頼まれ出した。市民一般に趣味人をもって任ずるこの古都には、いわゆる琴棋書画の会が多かった。はじめ拓本職人の老人が出入りの骨董商《こっとうしょう》に展観の会があるのを老人に代って手伝いに出たのがきっかけとなり、あちらこちらより頼まれるようになった。才はじけた性質を人臆《ひとおく》しする性質が暈《ぼか》しをかけている若者は何か人目につくものがあった。薄皮仕立で桜色の皮膚は下膨《しもぶく》れの顔から胸鼈へかけて嫩葉《わかば》のような匂《にお》いと潤いを持っていた。それが拓本老職人の古風な着物や袴《はかま》を仕立て直した衣服を身につけて座を斡旋《あっせん》するさまも趣味人の間には好もしかった。人々は戯れに千の与四郎、――茶祖の利休の幼名をもって彼を呼ぶようになった。利休の少年時が果して彼のように美貌《びぼう》であったか判らないが、少くとも利休が与四郎時代秋の庭を掃き浄《きよ》めたのち、あらためて一握りの紅葉をもって庭上に撒《ま
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