いうものか父を恨まなかった。「なにしろこどものような方だったから罪はない」そしてたった一つの遺言ともいうべき彼が誕生したときいったという父の言葉を伝えた。「この子がもし物ごころがつく時分わしも老齢《とし》じゃから死んどるかも知れん。それで苦労して、なんでこんな苦しい娑婆《しゃば》に頼みもせんのに生み付けたのだと親を恨むかも知れん。だがそのときはいってやりなさい。こっちとて同じことだ、何でも頼みもせんのに親に苦労をかけるようなこの苦しい娑婆に生れて出て来なすったのだお互いさまだ、と」この言葉はとても薄情にとれた、しかし薄情だけでは片付けられない妙な響が鼈四郎の心に残された。
 はじめは寺の弟子たちも故師の遺族に恩を返すため順番にめいめいの持寺に引取って世話をした。しかしそれは永く続かなかった。どの寺にも寄食人《かかりゅうど》を息詰らす家族というものがあった。最後に厄介になったのは父の碁敵であった拓本職人の老人の家だった。貧しいが鰥暮《やもめぐら》しなので気は楽だった。母親は老人の家の煮炊き洗濯の面倒を見てやり、彼はちょうど高等小学も卒業したので老人の元に法帖《ほうじょう》造りの職人として
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