河原で小魚を掬《すく》い帰った話をした。「いままで、ずいぶん、いろいろなうまいものも食いましたが、いま考えてみると、あのとき母が煮て呉《く》れた雑魚《ざこ》の味ほどうまいと思ったものに食い当りません」それから彼は、きょう、料理中に感じたことも含めて、「すると、味と芸術の違いは労《いたわ》りがあると、無いとの相違でしょうかしら」といった。
 これに就《つ》き夫人は早速に答えず、先ず彼等が外遊中、巴里《パリ》の名料理店フォイヨで得た経験を話した。その料理店の食堂は、扉の合せ目も床の敷ものも物音立てぬよう軟い絨氈《じゅうたん》や毛織物で用意された。色も刺激を抜いてある。天井や卓上の燭光も調節してある。総ては食味に集中すべく心が配られてある。給仕人はイゴとか男性とかいういかついものは取除かれた品よく晒《さら》された老人たちで、いずれはこの道で身を滅した人間であろう、今は人が快楽することによって自分も快楽するという自他移心の術に達してるように見ゆる。食事は聖餐《せいさん》のような厳かさと、ランデブウのようなしめやかさで執り行われて行く。今やテーブルの前には、はつ夏の澄める空を映すかのような薄浅黄色のスープが置かれてある。いつの間に近寄って来たか給仕の老人は輪切りにした牛骨の載れる皿を銀盤で捧げて立っている。老人は客が食指を動し来る呼吸に坩《つぼ》を合せ、ちょっと目礼して匙《さじ》で骨の中から髄を掬い上げた。汁の真中へ大切[#「大切」に傍点]に滑り浮す。それは乙女の娘生《きしょう》のこころを玉に凝らしたかのよう、ぶよぶよ透けるが中にいささか青春の潤《うる》みに澱《よど》んでいる。それは和食の鯛の眼肉の羮《あつもの》にでも当る料理なのであろうか。老人は恭しく一礼して数歩退いて控えた。いかに満足に客がこの天の美漿《びしょう》を啜《す》い取るか、成功を祈るかのよう敬虔《けいけん》に控えている。もちろん料理は精製されてある。サービスは満点である。以下デザートを終えるまでのコースにも、何一つ不足と思えるものもなく、いわゆる善尽し、美尽しで、感嘆の中に食事を終えたことである。
「しかしそれでいて、私どもにはあとで、嘗《な》めこくられて、扱い廻《まわ》されたという、後口に少し嫌なものが残されました。」
「面と向って、お褒めするのも気まりが悪うございますから、あんまり申しませんが、そういっちゃ
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