わ」というだけで、専心に喰《た》べ進んで行く。鼈四郎は、再び首尾はいかがと張り詰めていたものが食品の皿が片付けられる毎に、ずしんずしんと減って、気の衰えをさえ感ずるのだった。
 夫人も健啖《けんたん》だったが、画家の良人はより健啖だった。みな残りなく食べ終り、煎茶茶椀《せんちゃぢゃわん》を取上げながらいった。「ご馳走《ちそう》さまでした。御主人に申すが、この方が、よっぽど、あんたの芸術だね」そして夫人の方に向い、それを皮肉でなく、好感を持つ批評として主人に受取らせるよう夫人の註解《ちゅうかい》した相槌《あいづち》を求めるような笑い方をしていた。夫人も微笑したが、声音《こわね》は生真面目《きまじめ》だった。「わたくしも、警句でなく、ほんとにそう思いますわ。立派な芸術ですわ。」
 鼈四郎は図星に嵌《は》めたと思うと同時に、ぎくりとなった。彼はいかにふだん幅広い口を利こうと、衷心では料理より、琴棋書画に位があって、先生と呼ばれるに相応《ふさ》わしい高級の芸種であるとする世間月並の常識を無《な》みしようもない。その高きものを前日は味とされ、今日低きものに於て芸術たることを認められた。天分か、教養か、どちらにしろ、もはや自分の生涯の止めを刺された気がした。この上、何をかいおうぞ。
 加茂川は、やや水嵩《みずかさ》増して、ささ濁りの流勢は河原の上を八千岐《やちまた》に分れ下へ落ちて行く、蛇籠《じゃかご》に阻まれる花|芥《あくた》の渚の緑の色取りは昔に変りはないけれども、魚は少くなったかして、漁《あさ》る子供の姿も見えない。堤の芽出し柳の煙れる梢《こずえ》に春なかばの空は晴れみ曇りみしている。
 しばらく沈黙の座に聞澄している淙々《そうそう》とした川音は、座をそのままなつかしい国へ押し移す。鼈四郎《べつしろう》は、この川下の対岸に在って大竹原で家棟は隠れ見えないけれども、まさしくこの世に一人残っている母親のことを思い出す。女餓鬼《めがき》の官女のような母親はそこで食味に執しながら、一人息子が何でもよいたつきの業を得て帰って来るのを待っている。しばらく家へは帰らないが、拓本職人の親方の老人は相変らず、小学校の運動会を漁り歩き遊戯をする児童たちのいたいけな姿に老いの迫るを忘れようと努めているであろうか。
 鼈四郎は、笑いに紛らしながら、幼時、母子二人の夕餉《ゆうげ》の菜のために、この
前へ 次へ
全43ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング