させて行くより仕方なかった。そしていま迄、下手《したで》に謙遜《けんそん》に学び取っていた仕方は今度からは、争い食ってかかる紛擾《ふんじょう》の間に相手から※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》ぎ取る仕方に方法を替えたに過ぎなかった。それほどまでにして彼は尊敬なるものを贏《か》ち得たかったのであろうか。然《しか》り。彼は彼が食味に於て意識的に人生の息抜きを見出す以前は、実に先生といわれる敬称は彼に取って恋人以上の魅力を持っていたのだった。彼はこの仕方によって数多の旧知己をば失ったが、僅《わず》かばかりの変りものの知遇者を得た。世間には啀《いが》み合う鑼《どら》、捩《ねじ》り合う銅※[#「金+祓のつくり」、第3水準1−93−6]《にょうばち》のような騒々しいものを混えることに於て、却《かえ》って知音や友情が通じられる支那楽のような交際も無いことはない。鼈四郎が向き嵌《はま》って行ったのはそういう苦労|胼胝《たこ》で心の感膜が厚くなっている年長の連中であった。
その頃、京極でモダンな洋食店のメーゾン檜垣の主人もその一人であった。このアメリカ帰りの料理人は、妙に芸術や芸術家の生活に渇仰をもっていて、店の監督の暇には油画を描いていた。寝泊りする自分の室は画室のようにしていた。彼は客の誰彼を掴《つかま》えてはニューヨークの文士村《グリンウィッチビレージ》の話をした。巴里《パリ》の芸術街を真似《まね》ようとするこの街はアメリカ人気質と、憧憬による誇張によって異様で刺激的なものがあった。主人はそれを語るのに使徒のような情熱をもってした。店の施設にもできるだけ応用した。酒神《バッカス》の祭の夕。青蝋燭《あおろうそく》の部屋、新しいものに牽《ひ》かれる青年や、若い芸術家がこの店に集ったことは見易き道理である。この古都には若い人々の肺には重苦しくて寂寥《せきりょう》だけの空気があった。これを撥《は》ね除《の》け攪《か》き壊すには極端な反撥《はんぱつ》が要った。それ故、一般に東京のモダンより、上方のモダンの方が調子外れで薬が強いとされていた。
鼈四郎はこの店に入浸るようになった。お互いに基礎知識を欠く弱味を見透すが故に、お互いに吐き合う気焔《きえん》も圧迫感を伴わなかった。飄々《ひょうひょう》とカン[#「カン」に傍点]のまま雲に上り空に架することができた。立会いに相手を
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