体に非現実な美しい不安が起る。「このとき、僕は、人並の気持になれるらしい。妻も子も可愛《かわい》がれる――」彼はこんなことを逸子によくいう。逸子は寝かしついた子供に布団を重ねて掛けてやりながら、「すると、そのとき以外は、良人に蛍雪が綽名《あだな》に付けたその鼈《すっぽん》のような動物の気持でいるのかしらん」と疑う。
鼈四郎は、煙草を喫いながら、彼のいう人並の気持になって、霰の庭を味っていた。時刻は夜に入り闇《やみ》の深まりも増したかに感ぜられる。庭の構いの板塀は見えないで、無限に地平に抜けている目途の闇が感じられる。小さな築山と木枝の茂みや、池と庭草は、電灯の光は受けても薄板金で張ったり、針金で輪廓《りんかく》を取ったりした小さなセットにしか見えない。呑《の》むことだけして吐くことを知らない闇《やみ》。もし人間が、こんな怖《おそ》ろしい暗くて鈍感な無限の消化力のようなものに捉《とら》えられたとしたならどうだろう。泣いても喚《わめ》き叫んでも、追付かない、そして身体は毛氈苔《もうせんごけ》に粘られた小虫のように、徐々に溶かされて行く、溶かされるのを知りつつ、何と術もなく、じーじー鳴きながら捉えられている。永遠に――。鼈四郎《べつしろう》はときどき死ということを想《おも》い見ないことはない。彼が生み付けられた自分でも仕末に終えない激しいものを、せめて世間に理解して貰おうと彼は世間にうち衝《つか》って行く。世間は他人《ひと》ごとどころではないと素気なく弾《は》ね返す。彼はいきり立ち武者振《むしゃぶ》りついて行く。気狂い染《じ》みているとて今度は体を更わされる。あの手この手。彼は世間から拒絶されて心身の髄に重苦しくてしかも薄痒《うすがゆ》い疼《うず》きが残るだけの性抜きに草臥《くたび》れ果てたとき、彼は死を想い見るのだった。それはすべてを清算して呉《く》れるものであった。想い見た死に身を横えるとき、自分の生を眺め返せば「あれは、まず、あれだけのもの」と、あっさり諦《あきら》められた。潔い苦笑が唇に泛《うか》べられた。かかる死を時せつ想い見ないで、なんで自分のような激しい人間が三十に手の届く年齢にまでこの世に生き永らえて来られようぞと彼は思う。
生を顧みて「あれは、まず、あれだけのもの」と諦めさすところの彼の想い見た死はまた、生をそう想い諦めさすことによってそれ自らを至っ
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