人が、食物に係っているときだけ、温順《おとな》しく無邪気で子供のようでもある。何となくいじらしい気持が湧《わ》くのを泣かさぬよう添寝をして寝かしつけている子供の上に被《かず》けた。彼女は子供のちゃんちゃんこ[#「ちゃんちゃんこ」に傍点]と着ものの間に手をさし入れて子供を引寄せた。寝つきかかっている子供の身体は性なく軟かに、ほっこり温かだった。
本座敷で鼈四郎は、大根料理を肴《さかな》にビールを飲み進んで行った。材料は、厨《くりや》で僅に見出した、しかも平凡な練馬大根一本に過ぎないのだが、彼はこれを一汁三菜の膳組《ぜんぐみ》に従って調理し、品附した。すなわち鱠《なます》には大根を卸しにし、煮物には大根を輪切にしたものを鰹節《かつおぶし》で煮てこれに宛《あ》てた。焼物皿には大根を小魚の形に刻んで載せてあった。鍋は汁の代りになる。
かくて一汁三菜の献立は彼に於て完《まっと》うしたつもりである。
彼には何か意固地《いこじ》なものがあった。富贍《ふせん》な食品にぶつかったときはひと種《いろ》で満足するが、貧寒な品にぶつかったときは形式美を欲した。彼は明治初期に文明開化の評論家であり、後に九代目団十郎のための劇作家となった桜痴居士《おうちこじ》福地源一郎の生活態度を聞知っていた。この旗本出で江戸っ子の作者は、極貧の中に在って客に食事を供するときには家の粗末な惣菜《そうざい》のものにしろ、これを必ず一汁三菜の膳組の様式に盛り整えた。従って焼物には塩鮭《しおじゃけ》の切身なぞもしばしば使われたという。
彼は料理に関係する実話や逸話を、諸方の料理人に、例の高飛車な教え方をする間に、聞出して、いくつとなく耳学問に貯える。何かという場合にはその知識に加担を頼んで工夫し出した。彼は独創よりもどっちかというと記憶のよい人間だった。
彼は形式通り膳組されている膳を眺めながら、ビールの合の手に鍋の大根のちり[#「ちり」に傍点]を喰《た》べ進んで行った。この料理に就《つい》ても、彼には基礎の知識があった。これは西園寺陶庵公が好まれる食品だということであった。彼は人伝《ひとづ》てにこの事を聞いたとき、政治家の傍、あれだけの趣味人である老公が、舌に於て最後に到り付く食味はそんな簡単なものであるのか。それは思いがけない気もしたが、しかし肯《うなず》かせるところのある思いがけなさでもあった。そし
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