/\と一重《ひとえ》桜が散りかかるのを想像する。春は水嵩《みずかさ》も豊《ゆたか》で、両岸に咲く一重桜の花の反映の薄べに[#「べに」に傍点]色に淵は染《し》んでも、瀬々の白波《しらなみ》はます/\冴《さ》えて、こまかい荒波を立てゝゐる。筏《いかだ》乗りが青竹の棹《さお》をしごくと水しぶきが粉雪《こなゆき》のやうに散つて、ぶん流し、ぶん流し行く筏の水路は一条の泡を吐いて走る白馬だ。筏板はその先に逃げて水と殆《ほとん》ど一枚板だ。筏師はあたかも水を踏んで素足でつつ走る奇術師のやうだ。そのすばしこさに似合ふやうな、似合はぬやうな山地のうすのろい唄《うた》の哀愁のメロデーを長閑《のどか》に河面《かわも》に響かせて筏師は行く。
 或る初夏の夕暮、をとめのかの女は、河神《かしん》が来て、冴えた刃物で、自分の処女身を裂いても宜《よ》い、むしろ裂いて呉《く》れと委《まか》せ切つた姿態を投げた――白野|薔薇《ばら》の花の咲き群れた河原のひと処、夕闇の底に拡がるむら花のほの白さが真珠の床《とこ》のやうに冷たくかすかに光り、匂やかな露《つゆ》をふくんでをとめのかの女を待つてゐた。をとめのかの女は性慾を感じ始めて居た。性慾の敏感さ――凡《すべ》て、執拗《しつよう》なもの、陰影を持つもの、堆積《たいせき》したもの、揺蕩《ようとう》するもの等がなつかしく、同時にそれ等《ら》はまたかの女に限りなく悩《な》やましく、わづらはしかつた。かの女はをとめの身で大胆にもかの女の家の夕暮時の深窓を逃れ来て、此処《ここ》の川辺の夕暮にまぎれ、河原の玲澄《れいちょう》な野薔薇の床に横たはる。薄い毛織の初夏の着物を通す薔薇の棘《とげ》の植物性の柔かい痛さが適度な刺戟《しげき》となつて、をとめの白熱した肢体《したい》を刺す。寝転んで、始め鼻を当てると突き上げるやうな蕊《しべ》のにほひ、それにも徐々に馴《な》れて来る。五分、十分、かの女はまつたく馴れて来た。ひそかな噎《むせ》ぶやうな激情が静まつて、呑気《のんき》な放心がやつて来る。体をひねり、持つて来た薄い雑誌をむざ/\花床の上に敷いて片|肘《ひじ》まげる。河の流れへ顔を向けて貝の片殻のやうに展《ひろ》げた掌《てのひら》に頬《ほお》を乗せる。眺め入る河面《かわも》は闇を零細《れいさい》に噛《か》む白波《しらなみ》――河神の白歯の懐しさをかつちりかの女がをとめの胸に受
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