太利《イタリー》男爵もあれば刺繍《ししゅう》とピアノを教へる嫁入学校を拵《こしら》へて一儲《ひともう》けする波蘭《ポーランド》伯爵もある。しかし、それは地球の自殺の仕損じと同じものだ。結局灰滅は時期の問題だ。」
侯爵はここで少し笑つた。フォウブルグ・サン・ジ※[#「小書き片仮名ヱ」、203−14]ルマンの丈《たけ》の高い屋敷町に取籠《とりこ》められたこの庭でたつた一人がどんなに笑ふとしたところで周囲の朝寝を妨げはしない。まして侯爵の笑ひは淡々として水に落ちる雫《しずく》のやうだ。波紋もさう遠くへ送る力は無い。
「そこで金だ。滅びる支度の金だ。いのちを享楽のしめ木にかけ、いのちを消費の火に燃す支度の金だ。アンナは金持だつた。瑪瑙《めのう》の万年筆で小切手を落書のやうに書いた。アンナのほかのことには心を惹《ひ》かれなかつたが小切手を書く速さに心を惹かれた。結婚期限は五年ではいかゞ。『侯爵夫人』をあなたの帽子の鳥毛に使つてみてはいかが。この申出が果してフランス貴族の恥辱であらうか。働くことはフランス貴族の恥辱だが貸すことは名誉だ。わたしはわたしのタイトルを五年期限で賃貸することを申出た。
それはフォンテンブローの森へ団体で遠乗りした帰りだつた。二人が仲間から遅れて別荘町を外れかかつた時だつた。道端の垣にリラの花が枝垂《しだ》れてゐた。わたしの申出を聴いた時の彼女の返事を今でも覚えてゐる。彼女は右手を後鞍に廻してまともにわたしを振り向いて云つた。『承知よ。そしてしあはせにもあなたは様子もよし――』
わたしの滅びの支度は出来た。わたしの祖先伝来であつてそしてわたし一代で使ひつくすべきあらゆる才能とあらゆる教養とに点火する時が来た。わたしは躊躇《ちゅうちょ》しなかつた。ボア・ド・ブウロニュ街の薔薇《ばら》いろの大理石の館、人知れぬロアル河べりの蘆《あし》の中の城《シャトウ》、ニースの浪《なみ》に繋《つな》ぐ快走船《ヨット》、縞《しま》の外套《がいとう》を着た競馬の馬、その他の数々の芸術品を彼女とわたしとはいのちを消費する享楽の道づれとして用意した。人はわたしのこれ等《ら》の準備を見て或ひは月並の贅沢《ぜいたく》であると笑ふかも知れない。だが月並の表面を行かないでこそ/\贅沢の裏へ抜けるといふことはわれ/\の執《と》らないところである。いはゆる粋人《すいじん》がすることであ
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