燦々と光り輝く十字星は、天空一ぱいに散乱する群星を圧してゐた。スエズで一たん船を降りて、夜中自動車でヱジプトの首都カイロに向つた時、荒漠たるアラビヤ砂漠の中で眺めた星も亦美しかつた。印度洋上と云ひ、アラビヤ砂漠の中と云ひ、私は星を仰ぎ見る度に古代の人の心に立ち帰つて見るのであつた。今日のやうに、機械の発達しない太古の人達は印度洋やアラビヤ砂漠を往来するのに星を唯一の羅針とした。昔も今も変りなく燦然と輝くあの南十字星がそんな役割を勤めたかと思ふと、ただ単に美しいと鑑賞するだけでは済まないやうにさへ思ふ。
ヱヂプトでは、紀元前四千二百四十一年に既に暦が存在したといふ。そして当時の埃及人が一年を三百六十五日に分けてゐたことも亦、一つの驚異に値することである。かうした事実は、古代埃及人の天体の運行に関する智識から生れたものであつて、テーベ(ナイル河の上流の古都)にある紀元前千三百年頃のヱジプト王セテイ一世の墳墓の天井には星座の図が描いてあるのを見ても判る。更に、セテイ一世より五十年許り後のラムセス二世の墓にも星を描いた壁画がある。この二つの絵を見ると星は人間や鳥獣を以て象徴されて居て、それらの鳥獣も頸から下は人間の体をしてゐる。そして一番偉い星は天狼星で、これは完全な人間の姿をもつて現はされ、王冠を戴き笏を手にしてゐる。面白いことには群星は素足でゐるが、主立つた星は古代埃及独特の独木舟に乗つてゐる。
古代埃及人は、地球の裏には魔者の住んでゐる暗黒の大海があつて、太陽は東から西へと一日の行程が終ると、この地球の裏の魔海を夜間舟で渡つて、翌朝までにまた元の東に帰るのだと信じてゐたといふから察するに星も亦太陽と同様に、舟で暗黒の海を渡ると考へられたのかも知れない。星を鳥獣で象徴したのは、鷹を太陽の化身と考へたのと同じ意味からかも知れない。
満天に散在する星の一群を綴り合せて、いろいろな形を想像して出来たのが星座である。星座は人間の詩的空想の産物であつて、いかに沢山の星が天にあるからと云つても、それらが精密な物体を型造る程沢山あるわけではなく、いくつか点在する星と星との間に人間が勝手な空想の線を描いて、あるものは白鳥を象り、あるものは獅子に象つたりしたのである。従つて星座の数も造らうと思へばいくらでも際限なく出来た筈で、十九世紀頃には知られてゐるものだけでも百九十の多きに達し
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