たくしは、その想いの糸を片手に持ちながら、父の死以来、わたくしの肩の荷にかかっている大役を如何なる方図によって進めるかの問題に頭を費していた。
若さと家霊の表現。この問題をわたくしはチュウインガムのように心の歯で噛《か》み挟み、ぎちゃぎちゃ毎日噛み進めて行った。
わたくしを後援する伯母と呼ぶ遠縁の婦人は、歌も詠まないわたくしの一年以上の無為な歳月を、もどかしくも亦、解《げ》せなかった。これは早く外遊さして刺戟《しげき》するに如かないと考えた。伯母は、取って置きの財資を貢ぎ出して、追い立てるようにわたくしの一家を海外に送ることにした。この事が新聞に発表された。
いくつかの送別の手紙の中に、見知らぬ女名前の手紙があった。展《ひら》くと稚拙な文字でこう書いてあった。
[#ここから1字下げ]
奥さま。かの子は、もうかの子でなくなっています。違った名前の平凡な一本の芸妓になっています。今度、奥さまが晴れの洋行をなさるに就《つ》き、奥さまのあのときのお情けに対してわたくしは何をお礼にお餞別《せんべつ》しようかと考えました。わたくしは、泣く泣くお雛妓のときのあの懐かしい名前を奥さまにお返し申し、それとお情けを受けた歳の十六の若さを奥さまに差上げて、幾久しく奥さまのお若くてお仕事遊ばすようお祈りいたします。ただ一つ永久のお訣《わか》れに、わたくしがあのとき呼び得なかった心からのお願いを今、呼ばして頂き度《と》うございます。それでは呼ばせて頂きます。
おかあさま、おかあさま
むかしお雛妓の
かの子より
奥さまのかの子さまへ
[#ここで字下げ終わり]
わたくしは、これを読んで涙を流しながら、何か怒りに堪えないものがあった。わたくしは胸の中で叫んだ。「意気地なしの小娘。よし、おまえの若さは貰った。わたしはこれを使って、ついにおまえをわたしの娘にし得なかった人生の何物かに向って闘いを挑むだろう。おまえは分限《ぶげん》に応じて平凡に生きよ」
わたくしはまた、いよいよ決心して歌よりも小説のスケールによって家霊を表現することを逸作に表白した。
逸作はしばらく考えていたが、
「誰だか言ったよ。日本橋の真ん中で、裸で大の字になる覚悟がなけりゃ小説は書けないと。おまえ、それでもいいか」
わたくしは、ぶるぶる震えながら、逸作に凭《もた》れて
前へ
次へ
全31ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング