第3水準1−93−80、768−中−24]々《とうとう》の音を忍ばせ、そこに大小三つほどの水玉模様が撥《は》ねて、物憎さを感ぜしむるほど気の利いた図案である。
 こうは見て来るものの、しかし、この衣裳《いしょう》に覆われた雛妓の中身も決して衣裳に負けているものではなかった。わたくしは襟元から顔を見上げて行く。
 永遠に人目に触れずしてかつ降り、かつ消えてはまた降り積む、あの北地の奥のしら雪のように、その白さには、その果敢《はか》なさの為めに却《かえ》って弛《ゆる》めようもない究極の勁《つよ》い張りがあった。つまんだ程の顎尖《あごさき》から、丸い顔の半へかけて、人をたばかって、人は寧《むし》ろそのたばかられることを歓《よろこ》ぶような、上質の蠱惑《こわく》の影が控目にさし覗《のぞ》いている。澄していても何となく微笑の俤《おもかげ》があるのは、豊かだがういういしい朱の唇が、やや上弦の月に傾いているせいでもあろうか。それは微笑であるが、しかし、微笑以前の微笑である。
 鼻稜《びりょう》はやや顔面全体に対して負けていた。けれどもかかる小娘が今更に、女だてら、あの胸悪い権力や精力をこの人間の中心の目標物に於て象徴せずとも世は過ごして行けそうに思われる。雛妓のそれは愛くるしく親しみ深いものに見えた。
 眼よ。西欧の詩人はこれを形容して星という。東亜の詩人は青蓮に譬《たと》える。一々の諱《いみな》は汝の附くるに任せる。希《ねがわ》くばその実を逸脱せざらんことを。わたくしの観《み》る如くば、それは真夏の際の湖水である。二つが一々主峯の影を濃くひたして空もろ共に凝っている。けれども秋のように冷かではない。見よ、眄視《べんし》、流目の間に艶《あで》やかな煙霞《えんか》の気が長い睫毛《まつげ》を連ねて人に匂《にお》いかかることを。
 眉《まゆ》へ来て、わたくしは、はたと息詰まる気がする。それは左右から迫り過ぎていて、その上、型を当てて描いたもののように濃く整い過ぎている。何となく薄命を想《おも》わせる眉であった。額も美しいが狭《せば》まっていた。
 きょうは、髪の前をちょっとカールして、水髪のように捌《さば》いた洋髪に結っていた。
 心なしか、わたくしが、父の通夜明けの春の宵に不忍《しのばず》の蓮中庵ではじめて会った雛妓かの子とは、殆《ほとん》ど見違えるほど身体にしなやか[#「しなやか」
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