うそ》つき」
 と、小さい顎《あご》を出し、老婢がこれに対し何かあらがう様子を尻眼《しりめ》にかけながら、
「あがってもいいでしょう。ちょっと寄ったのよ」
 とわたくしに言った。
 わたくしは老婢が見ず知らずの客を断るのは家の慣《なら》わしで咎《とが》め立てするものではありませんと雛妓を軽くたしなめてから、「さあさあ」といってかの子を二階のわたくしの書斎へ導いた。
 雛妓は席へつくと、お土産《みやげ》といって折箱入りの新橋小萩堂の粟餅《あわもち》を差し出した。
「もっとも、これ、園遊会の貰いものなんだけれど、お土産に融通しちまうわ」
 そういって、まずわたくしの笑いを誘い出した。わたくしが、まあ綺麗《きれい》ねと言って例の女の癖の雛妓の着物の袖《そで》を手に取ってうち見返す間に雛妓はきょう、ここから直ぐ斜裏のK――伯爵家に園遊会があって、その家へ出入りの谷中住いの画家に頼まれて、姐《ねえ》さん株や同僚七八名と手伝いに行ったことを述べ、帰りにその門前で訊《き》くと奥さまの家はすぐ近くだというので、急に来たくなり、仲間に訣《わか》れて寄ったのだと話した。
「夏の最中の園遊会なんて野暮でしょう。けど、何かの記念日なんだから仕方ないんですって。幹事さんの中には冬のモーニングを着て、汗だくでふうふう言いながらビールを飲んでた方もあったわ」
 お雛妓らしい観察を縷々《るる》述べ始めた。わたくしがかの女に何か御馳走《ごちそう》の望みはないかと訊くと、
「では、あの、ざくざく掻《か》いた氷水を。ただ[#「ただ」に傍点]水《すい》というのよ。もし、ご近所にあったら、ほんとに済みません」
 と俄《にわか》に小心になってねだった。
 わたくしの実家の父が歿《な》くなってから四月は経《た》つ。わたくしのこころは、葬儀以後、三十五日、四十九日、百ヶ日と過ぐるにつれ、薄らぐともなく歎きは薄らいで行った。何といっても七十二という高齢は、訣れを諦《あきら》め易くしたし、それと、生前、わたくしが多少なりとも世間に現している歌の業績を父は無意識にもせよ家霊の表現の一つに数えて、わたくしは知らなかったにもせよ日頃慰んでいて呉れたということは、いよいよわたくしをして気持を諦め易くした。勿論《もちろん》わたくしに取ってはそういう性質の仕事の歌ではなかったのだけれども。それでも、まあ無いよりはいい。
 で、そ
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