ぐら》をかき、茶菓子の椿餅《つばきもち》の椿の葉を剥《は》がして黄昏《たそがれ》の薄光に頻《しき》りに色を検めて見ていた。
「これほどの色は、とても絵の具では出ないぞ」
ひとり言のように言いながら、その黒光りのする緑の椿の葉から用心深くわたくしの姿へ眼を移し上げて来て、その眼がわたくしの顔に届くと吐息をした。
「やっぱり、だめだったのか。――そうか」と言った。
わたくしは頷《うなず》いて見せた。そして、もうそのときわたくしは敷居の上へじわじわと坐《すわ》り蹲《しゃが》んでいた。頭がぼんやりしていて涙は零《こぼ》さなかった。
わたくしは心配性の逸作に向って、わたくしが父の死を見て心悸《しんき》を亢進《こうしん》させ、実家の跡取りの弟の医学士から瀉血《しゃけつ》されたことも、それから通夜の三日間|静臥《せいが》していたことも、逸作には話さなかった。ただ父に就《つい》ては、
「七十二になっても、まだ髪は黒々としていましたわ。死にたくなさそうだったようですわ」
それから、父は隠居所へ隠居してから謙譲を守って、足袋《たび》や沓下《くつした》は息子の穿《は》き古しよりしか穿かなかったことや、後のものに迷惑でもかけるといけないと言って、どうしても後妻の籍を入れさせなかったことや、多少、父を逸作に取做《とりな》すような事柄を話した。免作は腕組をして聴いていたが、
「あの平凡で気の弱い大家の旦那《だんな》にもそれがあったかなあ。やっぱり旧家の人間というものにはひと節あるなあ」
と、感じて言った。わたくしは、なお自分の感想を述べて、
「気持ちはこれで相当しっかりしているつもりですが、身体がいうことを聞かなくなって……。これはたましいよりも何だか肉体に浸《し》み込んだ親子の縁のように思いますわ」と言った。
すると逸作は腕組を解いて胸を張り拡《ひろ》げ、「つまらんことを言うのは止せよ。それよか、疲労《つか》れてなければ、おい、これから飯を食いに出掛けよう。服装はそれでいいのか」
と言って立上った。わたくしは、これも、なにかの場合に機先を制してそれとなくわたくしの頽勢《たいせい》を支えて呉《く》れるいつもの逸作の気配りの一つと思い、心で逸作を伏し拝みながら、さすがに気がついて「一郎は」と、息子のことを訊《き》いてみた。
逸作はたちまち笑み崩れた。
「まだ帰って来ない。あいつ、
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