に行ってるの」
「尋常《じんじょう》のしまいだけで止《や》めた」
「何に、なり度《た》いの」
 すると、この少年は功利と享楽に就《つい》て打算が速かな現代人の眼色の動きをちょっと見せたが、すぐ霊明で而《しか》も動物的な澄んだ眼に立直って言った。
「飛行機乗りになりたいんだがおやじが許さないんだ」
「それで」
「だから、もう何にもなり度くないんだ。やっぱりこの庭の番人になるんだ」
「だけど、お友達なんかなくって淋しかないの」
「うん、あるよ、時々外から来るよ。ここへ来りゃ、みんな僕のけらい[#「けらい」に傍点]さ」
 朝子は、ふと、こういう少年の気持を探り出すのに具合のよさそうな問いを思いついた。
「島吉つぁん、どんなお嫁さん貰うの」
 すると、思いの外《ほか》少年は意気込んで来て、
「嫁かい、ふ ふ ふ ふ、今に見せてやるよ」
「まあ、もう、あるの」
「ふ ふ ふ ふ」
 朝子は二三日、その事は忘れていた。七草過ぎの朝、島吉は七つ八つの女の子を連れて書きものをしている朝子の椽先に立った。そして、何とも言わずに朝子と女の子とを見較べて、うふふふふふと笑った。片眼が少し爛《ただ》れているが、愛くるしい女の子だ。朝子は、ふと思い出して言った。「この女の子、この間言ったあんたのお嫁さんじゃないの」
 島吉は矢張り、うふふふふふと笑って、「奥さんにおじぎしないかよ」と、女の子に命令するように言った。女の子は朝子に、ぴょこんと頭を下げてから、島吉を見て、
「あ は は は は」
 と笑った。すると、島吉は矢庭《やにわ》に鋭い眼をして女の子を睨《にら》み込んだ。その眼は孤独で専制的な酋長《しゅうちょう》の眼のように淋しく光っていた。



底本:「岡本かの子全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年7月22日第1刷発行
底本の親本:「丸の内草話」青年書房
   1939(昭和14)年5月発行
初出:「旅」
   1938(昭和13)年2月号
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年3月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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