秋雨の追憶
岡本かの子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)印度《インド》人
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)表情|豊《ゆた》かな
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)くすぐつたい[#「くすぐつたい」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
○
十月初めの小雨の日茸狩りに行つた。山に這入ると松茸の香がしめつた山氣に混つて鼻に泌みる。秋雨の山の靜けさ、松の葉から落ちる雨滴が雜木の葉を打つ幽かな音は、却つて山の靜寂を増す。水氣を一ぱいに含んだ青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい[#「くすぐつたい」に傍点]感觸が足の甲をつゝむ。咲きおくれた桔梗の紫が殊更鮮かだ。濕つた羊齒をかき分けると可愛らしい松茸が雀の子のやうにうづくまつてゐた。
○
夏の初から――六月の半頃から三月以上もかけ[#「かけ」に傍点]續けてやうやく古びた竹の簾。今日は今日はと思ひながらはづしそびれてゐた。
初秋の薄ら冷たさも身に泌みなれた九月下旬の或日の夕方、いよ/\それを取はづさうとして手をかけた。
裏庭に面した西向の窓である。窓は高いので私は背のびをした。水色絹の簾の縁がしつとりと濡れて居り、簾の生地の竹の手觸りの冷え/″\しさに、目をとめて見れば、いつの程よりか外には時雨のやうに冷い細雨がしとしとと降つて居たのである。
○
今迄かつと[#「かつと」に傍点]照り渡つてゐた初秋の空に僅か飛行船程の暗雲が浮んだ。と見る間に箒ではきかけるやうなあわただしい雨、私があわてゝ逃げ込んだのは、山の手のと[#「と」に傍点]ある崖際の家の歌舞伎門であつた。ほつと[#「ほつと」に傍点]してその柱にとりすがると心がしん[#「しん」に傍点]とする程門の柱は落ちついて居た。前の道を通る人もないので、私は安心してその柱によりかゝつた。駈けこんだ時のはづんだ息が靜まると、門のさゝやかな板葺屋根に尚ぱら/\とあたる雨の音が聞える。――立騷いだ後の和やかに沈んだ官能(耳)が一層澄んでそのさわやかな雨滴の音が頭の底まで泌みるやうな冷快な感じがして來た。それを享
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング