たへて居ることは、却つて追々人目にも怪しまれる、随《したが》つて母親達を辛《つら》い立場に立たせるやうにならうもはかられぬ。で、二人は母親達に極々安心の行くやう言葉の順序をつくした書き置きをしたため、都をあとにあてもなく落ちて行つたのです。むろんおとうさんとおかあさんが住みつく田舎《いなか》へ着く迄にはいくばくかの月日も経《へ》、その間に完全な男女に二人の性を還元させる外貌《がいぼう》姿態に二人が自分達自身を、変らせて居たのは云ふまでもありません。そしてこの二人が、いつごろ何処《どこ》で夫婦の約《ちぎり》を云ひ交したか……それも水の低きにつくごとく極めて自然な落着として今さらせんぎ[#「せんぎ」に傍点]の必要もありませんでせう。二人が都を出る時は、別に二人の間に男女の感情が動いてゐたわけではなかつたのですが。
さて、此度《このたび》、都へと、一家|揃《そろ》つての旅ですが、これは或ひは一家にとつて単なる旅では無くなるかもしれません。おとうさんもおかあさんも再生の喜びが力となつて、村では勤勉な良民の模範となりお金ももう贅沢《ぜいたく》せずなら都でも暮らして行ける位ゐな貯へになりました。子供達もなるべくなら都で仕込んでやり度《た》く思ふのです。もう都へ行つてから本当にその気分になり切つたら或ひは田舎の生活を切り上げて都の人達になるかも知れません。しかし、そのまへにおとうさんとおかあさんには成すべき或る事がありますのです。それは昔の大方の知己《ちき》を見て廻ることです。もちろん一番先きにS家、またおかあさんを婿にしようとしたお爺《じい》さん(お爺さんは多分死んで届るでせうから娘)の家へも立寄つて見るつもりです。そして、実は斯《か》く/\と遠い二十幾年も前の真実を打ち明けて、たとへ一時はけしきを損じようともそれを過ぎれば恐らくお互ひのわだかまりがとけて朗《ほがらか》にならう。そして或ひは寛《くつろ》いだ都暮らしの気分も其処《そこ》から自然に湧《わ》いて来ようとのおとうさんとおかあさんの意図なのですが、その結果がどうならうかは作者も今ここに明言出来ません。人は、或る年齢に達すると、どうも故郷を顧みずには居られないのが通例のやうです。
それから云ひ遅れましたがおとうさんとおかあさんの母親達は二人の出発後大いに悟るところでもあつたやうに双方とも今までよりより以上頼み合ひ終《つい》に同棲《どうせい》迄して一方が一方の死までを見送り、あとまた間もなく一方も別に不自由なしの一生を終つて死に就《つ》いたとの事がおとうさんおかあさんに自然知れましたが、その頃はまだ二人とも田舎《いなか》で世をしのんで居た最中ですから、二人心に嘆き弔《とむら》ひ乍《なが》らそのまゝ年月を経て、その悲しみも消えて行きました。もはや顧慮する母親達も無いので二人は故郷に帰つて本性を明すの冒険をも試みようとするのかもしれません。
月も落ちた。夜も更けた。作者も語りくたびれました。
親子四人もいつしか各々の寝所に入り、安らかな眠りの息を呼吸してゐます。
底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
1992(平成4)年1月23日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1974(昭和49)年発行
初出:「婦女界」
1933(昭和8)年11月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2004年4月29日作成
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