否々、しまひには自分の男の児が女として育つて居《お》り、自分の女の児が男として育つて居ることさへ追々《おいおい》忘れて仕舞つたかのやうでありました。
しかし、あらそはれないもので、そのうちに男の児になつて居る女の児の方に女のしるし[#「しるし」に傍点]が現はれるやうになりました。母親は、今更のやうにあわてふためき、男の児の母親の方へ相談にまで行きました。そして、自分達が合議のうへでめい/\の子供を男は女に、女は男に育てて居たことを子供達に打ち明けました。ただし、それをさうしたといふ訳==つまり何故《なぜ》その母親達が、女を男にして育て、男を女に仕立てて居たかといふわけを母親達は子供達に別に話しはしませんでした。故意か、無雑作《むぞうさ》にか、そして子供達もまたうつかりそれを問ひただすでもなく……世にはそれ程でも無いことを執念《しゅうね》く探り立てする人々があると同時に、可成《かな》り重大な事でも極《ごく》無雑作にかたをつけるあつさりした人達があるものです。この親子達は一面から見ればその後者の方に属する人達とも云へませうが、また一つの解釈からすれば、親はそれ程の重大な事を他人事のやうに簡単に語れ、子もまたそれを他人事のやうに聞ける位、長い間の自分達の現実的過誤に慣れ切つてしまつて居たのです。
では、その子供達はともかく作者はその母親達がそんな子供の育てかたを何故《なぜ》したかと読者はあるひは詰問なさりはしませんか。作者は実は、その解釈に苦しみます。さあ、どういふ原因が其処《そこ》にあつたものか、ともかく女同志の親密な気持ちには時々はかり知れない神秘的なものが介在してゐるかと思へば極々《ごくごく》つまらない迷信にも一大権威となつて働きかけられる場合もないではないぢやありませんか。
それはともかく、長い習慣といふものは妙なもので、親が子に明した事実は、ほんの其場《そのば》の親子の間だけの現実に過ぎないものであつて、その後また何の不思議もなく前からの習慣である女の男育ち、男の女仕立てが続きました。当人達でさへそれですもの、世間がその子供達をどちらもほんたうの見かけどほりの男女だと思ふのは無理もありませんでした。
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――おとうさんが女になつていらしつた時、どんな女でいらしつたでせう。
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