て都の一隅の街に生れました。二人の母親はまた生憎《あいにく》揃《そろ》ひも揃つて二人をお腹に持つて居た頃に未亡人になりました。丁度国の大戦の為にその国の丁年《ていねん》以上の男子が大方戦線へ出たその兵士の仲に当然|交《まじ》つて行つて仕舞ひ、その上間もなく二人の夫が二人とも戦死したからでありました。未亡人同志は、いよいよ仲好しになり、頼み合ひ、はげまし合ひ、何事も二人の合議で生活して行くやうになつたのです。
 その合議のなかの一つの事件として不思議なことが取り行はれたのでした。おとうさんを生んだ母親は男のおとうさんを女に仕立て、おかあさんを生んだ母親は女のおかあさんを男育てに育てたのでした。よくたとへには、玉のやうな赤ん坊を生んだなどと云ひますが、ほんたうは生れたばかりの赤ん坊といふものは、赤くてくしや/\で女だか男だか一寸《ちょっと》区別がつきかねるものです。前後して生んだ赤ん坊を真実の男とか女とか知つた人はいくらもないそのうちに二人の母親は都住居《みやこずまい》の人達によくあるあちらの街からこちらへと処々生活の都合で越して歩きました。
 おかみへ届けるときにはどうなつてゐたのでせうか分りませんが、二人が自分の名を自分で覚える頃には二人ともその育つ姿や生活に相応する――即《すなわ》ちおとうさんは女にふさはしく、おかあさんは男らしい呼名に都合よくなつて居ました。越して行く先から先の近所の人達も当然それを怪しみもせず、おとうさんを女の児《こ》扱ひにし、おかあさんを男の児と見做《みな》して仕舞ひました。二人の母親は、二人ともつつましく行儀よく出来てゐる女同志で、自分の子たちもさういふしつけの宜《よ》い育て方をしましたので、二人の子達も子供らしい遊びもいたづらも相当に仕《し》て居乍《いなが》らよく子供に有《あり》がちな肉体的な暴露などはありませんでした。さうして育つて行くうちにも仲好しの母親同志は越す先々の家を成《なる》たけ近所同志にえらび、お互ひの生活を接近させてゐました。が、自分達の合議の上で女を男に、男を女に、と取換へつこに育て上げつつある自分達の世間はづれた事業が苦もなく成功して行くのを不思議がりもせず、別に得意にもしなかつたせゐか、しまひにはお互ひ同志ばかりがどんなに人と離れて接近し合つて居る場合でも、それを得意がつたりして談《はな》し合ふことも無い様子でした。
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